日本を代表するドラマー、村上“ポンタ”秀一さんが3月9日、入院先の病院で亡くなった。70歳だった。
1970年代にリリースした「SPACY」や「イッツ・ア・ポッピン・タイム」などのアルバムで、スタジオミュージシャンとしてポンタ氏を起用していたシンガーソングライターの山下達郎さん(68)が、20代の当時から気鋭のミュージシャンとして同じ時代を生きた“戦友”との思い出について振り返った。
インタビュアーは音楽ライターの真保みゆき氏。真保氏は、ポンタ氏がデビュー30周年にあたって出版された自伝本「自暴自伝」(2003年、文藝春秋刊)の構成を手掛けた。
(#1より続く)
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「LOVE SPACE」イントロの“タム回し秘話”
――とはいえ、細野さんとポンタさんを組み合わせるという発想自体、今振り返ってみても「よくぞ」としか言いようがないと思うんですが。
山下「そうですか。でも、僕にとって日本で一番優秀なベーシストといったら、やっぱり細野さん以外にないと思っていたから。で、ポンタは圧倒的に個性が違う。技術的な問題じゃないんです。これって言語化できない境地で、ミュージシャンというのは、とどのつまり言語じゃないんですよ。たとえば『LOVE SPACE』の最初のピアノ。あれは佐藤くんがいきなり本番で弾き出した。2テイク目だったかな。みんな一瞬『ウッ』と思うんだけど、その一瞬がキモなんです。佐藤くんが挑発して、そこに3人がどう反応するか。そういう一瞬が、ものを創る」
――それは譜面に書けるものじゃなくて。
山下「譜面はあったんです。『SPACY』の1作前、デビュー作の『CIRCUS TOWN』をニューヨークで録った時、アレンジャーのチャーリー・カレロが作ってきた緻密な譜面が非常に実践的で、それを研究してスコアを書いた。『LOVE SPACE』のイントロのタム回しは譜面に書いたものです。でも、そこを除くと、誰も人の言うことなんか聞いてない(笑)」
――結果、起こったことは、達郎さんの予想を上回っていたわけですね。
山下「はるかに上回ってました。それこそがスタジオ・ミュージシャン(を使う意味)なんです。佐藤くんなんかも、まさにその典型。『LOVE SPACE』でコードが変わるところで黒鍵をグリスアップでぐわ~っと弾く、あの展開って、僕がDフラットで作曲していたから出来たことであって。Cだったら成立しないからね。僕がDフラットで作った、そこに反応してああいう演奏をしているわけだから」