――あわよくば、1日でできる(笑)。アイディアですね。
山下「それで六本木ピットインを録音会場として押さえた。当時、ピットインの階上にソニーのスタジオがあって、ラインをつないでそのまま録音できたことも大きかった。ダニー・ハザウェイのライヴ盤みたいな感じでやろうと。それが78年」
――「SPACY」もそうですけど、「イッツ・ア・ポッピン・タイム」も、後にも先にも類似したものがない、一種独特なライヴ盤というか。
山下「まあ、時期ですよね。坂本くんは同じ78年からYMOを始めるわけだし。彼はもともと芸大の作曲科で現代音楽専攻。タンジェリン・ドリームとかにどんどんベクトルが向かっていって、細野さんとくっついてYMOをやるようになった。ポンタはポンタで、ジャズ・フュージョンからロックと、何でもありの方向に行っちゃったしね」
やっぱりうまいやつじゃないと、絶対にダメ
――それぞれが枝分かれしていきつつある時期でもあった。それにしても、演奏は本当にすごいと思うんです。「ピンク・シャドウ」の「寄らば斬るぞ」的な緊張感あふれるインタープレイ(※ミュージシャン同士が触発し合ってインプロビゼーションの演奏を生み出すこと)とか。
山下「『ポッピン・タイム』のメンバーって、演奏のタイム感が本当にジャストなんですよ。僕はバンド上がりだから、どちらかと言えば“走る”傾向が強かった。それがこのメンツで1年半ほどやって、タイム感が矯正されたんです。『ピンク・シャドウ』の『スチャッチャッチャッチャ、バンットンッタンタララズチャッチャッ』って入り方とか、やっぱりうまいやつじゃないと、絶対にダメ。彼ら、それを苦もなくやるわけだから」
――「ポッピン・タイム」の収録中、達郎さんの中で「楽しい」という感覚は、あったんでしょうか。
山下「ないですよ。そんなの」
――ないんだ……。
山下「この時代は、本当に必死でしたもん。どうしてもライヴから遠ざかっていたから、声があまり出ていない。シュガー・ベイブ時代は、少なくとも月に7~8本やってたから。大瀧(詠一)さんからも、『声は1年に半音ずつ下がっていくから』っておどかされてたし。
だから『ポッピン・タイム』は、ヴォーカル・クオリティの面では満足してないんです。その分、1曲目にスタジオ録音を入れて、あと新曲のほかに邦楽と洋楽のカヴァーを入れたり、そういう工夫はしてるんだけど。でも、2枚組にしちゃってるからね(笑)」