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『日本の血脈』より #1

2021/04/13

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 読書

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学問によって道を切り開いた教育者の家系

 庄一郎は学習院を退官すると、再び佐賀県立師範学校長など日本各地の教育機関に赴任し、最終的には大正9年、故郷、和歌山市の視学(現在の教育長にあたる)となった。生まれ故郷において教育行政のトップに立ち、その後は主に和歌山市内で暮らして、昭和22年に没している。

 死後に、故人の強い希望として和歌山市内にある川嶋家の菩提寺の他に、安諦村にある生家の裏山にも墓を建てた。

 庄一郎は明治の時代に生まれ、まさに学問によって貧しさの中から抜け出し、立身出世を果たした人物だった。養子にも行ったが、終生、自分の生まれ育った、貧しい山里を忘れることはなかったのだろう。貧農の三男として生まれ、平等に教育を受けるという新時代の学制に接し、学問によって自分の道を切り開いた。教育こそが全ての根本という思いが強かったのだろう。生まれ故郷の安諦高等小学校には、たびたび寄付をしており、昭和11年に来校した際には土産として児童全員に鉛筆を贈っている。

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 今でも安諦村には力松(庄一郎)の兄の末裔にあたる方やご親戚が、農業をしながら暮らしている。

紀子さまの祖父は学究肌の人だった

 貧しさの中から身を起こし、教育者として一生を終えた川嶋庄一郎の長男として明治30年に生まれたのが川嶋孝彦である。紀子妃にとっては父方の祖父にあたる。

 孝彦は東京帝国大学法学部を大正12年に卒業、内務省に入省した。

 その後は、内閣官房総務課などを経て、内閣統計局長を務めている。在任期間は8年に及び、これは歴代局長の中でも大変に長い記録である。

「官吏と言うよりは学究肌の人だった」と言われるが、確かに彼は一官僚として統計学を勉強する中で、次第に深くこれに傾倒し、その中に人生の喜びまで見出していったようである。彼は随筆の中でこう語っている。

「私は統計の仕事にたづさはる様になって、非常に仕合せだと思って居る。統計の仕事には余徳がある。(中略)統計家は高邁な識見と明敏果断な判断力によって核心をつかまなくてはならない。一種の飛躍をやらなければならない。……だから、統計の仕事を一心不乱に努めて行くと知らず知らずに自分の能力が之に適応する様になる。細心にして大胆、・大きく撞けば大きく鳴り、小さく撞けば小さく鳴る。・即ち、西郷南洲の様な性格が、仕事をやりながら、ひとりで養はれて行く。何と大きな統計の余徳であるまいか」(島村史郎「川島孝彦と統計」『統計』)

 内務省のエリートであったが、その業務の中で接した統計学に、自分の生きがいを見出していった孝彦の姿が浮かび上がってくる。