20代なかば、このまま逃げ切れるかと思っていたが...
目覚めたら、寝グセと天然パーマでボワンボワンになった髪を〈資生堂 メンズムース〉テンコ盛りのブラシで整え、あえてハネさせたい箇所を〈ギャツビー スタイリングジェル〉か〈dep(デップ)〉で調整し、それらが崩れないように〈ダイエースプレー〉で全体を固めてから登校する。毎朝、洗面台はスプレー缶の高圧ガスが充満、そこで火を付けていたら絶対に爆発していたはずだ。
天然パーマによるウネりと整髪料のスタイリング力が奇蹟のマッチングを生み、当時(1985~1991年)のジャニーズ的ソフトパーマまんまの髪型になった時などは天にも昇る気持ちになった。
しかし、そんな日にかぎって登校するとイキった上級生に呼びつけられて「おめぇ、ザコのくせにパーマなんかあててんじぇねぇぞ」と髪を掴まれてしまう。まれに理想的な髪型が手に入っても、それをグシャリと壊される悔しさ。風呂場で流した涙を、〈サンスター トニックシャンプー〉の泡と一緒に洗い流したものだった。
中高の6年間で、天パーのウネり&ハネに対する傾向と対策もマスター。20歳を過ぎて編集プロダクションで働く頃には、かつてのように洗面台の前で何十分も格闘することもなく、目覚めたら〈資生堂 ウーノ スーパーハードジェル〉でパパッと仕上げて出社した。
20代なかばになっても毛が薄くなる気配もなく、このまま逃げ切れるかと思っていたが、洗髪後の髪に触れると異様にパサつくのに気付いた。アクリル質になっているというか、毛が死んでいるといえばいいのだろうか。
さらにふいに父親の頭部に目をやると、いつの間にかしっかりと薄くなっていた。思春期以降、父親と普通に話しても頭部をまじまじと見ることはなかったのでかなりの衝撃であった。
整髪料の過剰使用による影響なのか、それとも遺伝、宿命、運命か……。いずれにせよハゲは避けられないんだなと思うと、祖父と曽祖父の高笑いが脳内に響き渡った。
30代、AGA治療薬しかないかという寸前で、志村けんに救われた
30代に入ると、もうダメだった。髪のハリやコシが消え、1年ごとに頭皮の露出が目立つように。おまけに凄まじい勢いで太っていった。
髪の量は自信と比例し、誰かと会話していても相手の視線が進行中のハゲに向かっているのではないかとドギマギする。そうなると、今年の冬が去年よりも寒いのは髪が無いからだ。金も無く、髪も無い、こんな男を相手にする女性なんているわけがないなどと、ネガティブ思考のループに陥った。
当然、カツラや植毛も頭をよぎった。でも、金がかかるし、やっぱり見た目の不自然感は拭えないものがある。ならば、AGA治療薬しかないかという寸前で、志村けんに救われた。
帰宅後に『志村流』や『志村通』などの深夜番組を観ているうちに、自らハゲをネタにする姿勢、特にハゲているにもかかわらずハゲたカツラを被ってコントに臨む姿には「オマエ、もういいじゃないか。だいじょうぶだぁ」と諭された気がした(竹中直人にも同じくらい感銘を受けた)。