なにも知らなかったゆえに、なにも怖くなかった幼い頃。

 いつか到来するだろうと薄々とは感じながらも、やはり自分には無縁だとも考えていた10代から20代の頃。

 後退、散乱するのを目の当たりにしながら、どこかで止まってくれと願っていた30代。

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 いまだからこそ、かつての自分に伝えたい。

 考えるべきだったのは、〈君たちはどうすればハゲないか〉ではなかった。

〈君たちはどうハゲるか〉を考えるべきだったのだと。

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祖父も曽祖父もハゲていた

 現在、俺の頭髪はハゲと呼ばれる状態にあるが、完全な無毛ではない。

 耳の上(こめかみ)から側頭部に掛けてはムラがなく毛が生えており、そこから上に進むにしたがって毛と毛の間隔が開き、頭頂部は数えようと思えば数えられなくもない程度の毛はある。グダグダ説明したが、とにかく誰が見てもハゲとしか形容しようがないのは確かだ。

 当然といえば当然だが、幼い頃は自分にも黒々として艶々とした毛髪があった。むしろ、ありすぎたといってもいい。当時の記憶でいまだ脳裏に焼き付いているのが、ハゲていた父方の祖父と彼が暮らしていた家だった。

 なぜか、その家の居間には全長60センチほどの彼の彫像が置いてあり、長押(なげし)には曾祖父の写真が飾ってあったが、彼もハゲていた。祖父も曽祖父も眼光が鋭いうえに眼窩の窪みが深く、笑っていても睨むようになる顔。そのせいか彫像と写真は軽いトラウマになっており、毛髪に関する節目を迎えるたびに「オマエもワシらのようになるんじゃ!」的なナレーションと共にふたりの眼が光る脳内映像が再生された。

 毛髪を意識するようになったのは、小学生になってから。そこにあるべきだと思われているものが無かったり、少なかったりするのは、そんなに違和感を抱くことなのだろうか。

 子供たちにとって、ハゲやボウズは嘲笑や羞恥の対象となる。だから、親にバリカンでボウズにされた子はなんだか恥ずかしそうにしているように見えたし、俺も母親に床屋に連れられて問答無用でスポーツ刈りにされた際はひどくショックで、次の日に学校に行くのが嫌だったのを覚えている。

 スポーツ刈りなんて板前カットやクルーカットと変わらなそうなものだが、「髪を短くする=ハゲorボウズ」と捉える小学生にとっては一大事にして痛恨事であり、髪が無いことの恐ろしさ、恥ずかしさ、悔しさみたいな劣等感の萌芽にもなっていたと思う。

小学生の頃。〈スポーツ刈り〉ではなく、隣の子のような〈坊っちゃん風〉に憧れていた。

 中学生から高校生にかけては、母親の“スポーツ刈り限定散髪令”も解かれ、色気づいたこともあって、あらゆる整髪料を使って髪をいじりにいじった。

 もちろん、カッコつけたいのもあったが、なかなかの天然パーマだったのでウネてハネまくる髪をなんとか制御したいという切実な願いもあった。自由に髪を伸ばせるようになったらなったで、自由にならないもどかしさを抱えることになってしまった。