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彼女の“通勤経路”

――臥龍山を後にした我々は、Hさんが消息を絶った浜田市に足を向けた。臥龍山の麓には、見渡す限りの田畑が広がり、石州瓦というオレンジ色の屋根瓦を葺いた家が、あちこちに点在する風景が続く。その道をさらに進み、峠を一つ越えると、日本海に面した浜田市だ。臥龍山と浜田市の距離は約25kmと報道されていたが、それは直線で結んだ距離。実際の道のりはその2倍近くあり、移動には1時間以上もかかった。

 Hさんのアルバイト先だったショッピングセンターは、大都市近郊にあるような大規模なものではないが、集客は多く、周囲の交通量も激しい場所にある。おそらく市内では一番の繁華街なのだろう。彼女が働いていたアイスクリーム店は、変わらずショッピングセンター内にあった。

 彼女は大学の近くにある女子寮からアルバイト先まで徒歩で通っていたそうだ。Hさんはどんな道を歩き、事件に巻き込まれたのか。それを確かめるために、我々は日が暮れ始めるのを待ってから、彼女の“通勤経路”を歩いてみることにした。

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徒歩50分のくらい坂道

 ショッピングセンターを出て、学生寮方面に裏の道へ入ると、様相は一変。街灯もまばらで、迷路のように路地が入り組む住宅地だった。Hさんはその細い道を縫うように通り抜け、神社の石段を上って帰宅していたそうだ。それが一番の近道なのだという。神社の石段は約170段もあり、普通に歩いて上がっても息がはずむほどだった。街灯があるにはあるが、かなり薄暗い。

バイト先から女子寮への帰り道にある神社の石段 ©谷口雅彦

 神社の階段を上がりきって、坂道を少し上った場所、寮まで約600mの地点で、2009年11月30日に、彼女の靴が発見された。本人のものという確実な証拠はないようだが、監視カメラに映った画像を解析した結果から、彼女のものでほぼ間違いないといわれている。実は、警察が、この場所を事件直後に捜索した際には発見されなかった。だが、なぜか行方不明になってから1か月以上も経ってから見つかったという謎は、今も解き明かされていない。

被害者の靴の片方(左足)が見つかった側溝 ©谷口雅彦

 その先も、寮までの道はずっと登り坂。ショッピングセンターから寮まで2・5kmの道のりの大半は坂道だ。我々が歩いて50分近くかかった。これほどの坂道を彼女が常に歩いて通っていた理由は、バス代やタクシー代の節約のためだったという。彼女の真面目な一面を物語る話だが、それが悲劇を引き起こすことになるとは、なんという運命のいたずらだろう。