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完了したのは天守閣と長塀だけ

 大天守は軽量化のため、最上階がコンクリートを使わない鉄骨造だった。鉄骨造は軽い分、地震で揺れが大きくなるデメリットがある。大天守の瓦が激しく崩落して人々に衝撃を与えたのは、内部構造に一因があるのかもしれない。

 地震後、最上階を造り直すなどしたが、大天守の3階に16本、6階に8本、小天守の3階に2本の鉄骨を差し込んで、工事のための足場などを造った。このやり方だと、天守閣全体に覆いを造るより小さい構造物で済む。あまり例のない工法という。

 天守閣は地下に打ち込まれた47メートルもの杭で支えられている。これがあるため今回の地震では倒壊などを免れたと言う人もいる。ところが、大天守の修復に際して、耐震化で頑強な構造にすると、地震が起きた時のエネルギーが杭に集まり、こちらに破損が生じる恐れがあると分かった。

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大天守は杭で重量を支えられ、石垣には接しない構造になっていた。今回の修復で小天守も同様にされた

 熊本城は特別史跡なので、文化財保護法では最上ランクの施設だ。土地の改変すら許されず、もし杭に異常が見つかっても地中の工事はできない可能性が高いとされる。仮に破損するような事態になれば、天守閣そのものを維持できなくなるかもしれないという。だが、天守閣のない熊本城など考えられない。

 このため、大天守の耐震化と杭の保持を共に成り立たせる工夫が必要になった。そこで採用したのが制振ダンパーだ。同ダンパーは揺れのエネルギーを熱に変えて放出するため、大天守に取り付けると、地震時に杭が受ける負担を減らすことができる。

 こうした修復工事で、現在までに完了したのは天守閣と長塀だけだ。

 残る31棟の重要文化財や復元建造物、石垣、地盤などの復旧作業は古賀さんが市を定年になったあとまで続く。

塀が石垣もろとも崩落したままの場所もある

工事はまだ17年間も続く

 天守閣の公開が迫る熊本城を歩いた。まだ、生々しい地震の痕跡が至るところに残されていて、復旧にはほど遠い印象を受ける。

 重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)は、瓦や壁が落ちたままの状態で、周囲の石垣が崩れないようモルタルを吹きつけたり、鉄の網で囲ったりしていた。

 人通りの多い場所では、石垣が崩落して網を突き破っても止まるよう、ダムのような石組が設置されていた。

 崩落して無残な姿をさらしている箇所、塀が石垣の上に倒壊したままになっている箇所、石垣に吹きつけられたモルタルが通りの両側から迫る箇所、解体された門もある。

「報道は天守閣についてが中心なので、現地を見なければ、もう修復が終わったのではないかと勘違いする人がいるかもしれません。しかし、実際にはこれから17年間も工事は続きます。それほど大きな地震だったのだということを、この復旧工事を通して伝えていきたいと考えています」と古賀さんは話していた。

修復された熊本城天守閣の夜景

後編に続く

撮影=葉上太郎

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。