「ドーンと突き上げられました。私はこたつで眠っていたのですが、気付いた時には天井が目の前にありました。大黒柱が折れて家が倒壊していたのです。真っ暗なので、どこがどうなっているか分かりません。必死になって、はい出しました。後で体育館に避難してから、突き指をして腫れ上がっていたのに気がつきました」

 熊本県南阿蘇村の橋本艶子さん(68)が振り返る。

 2016年4月16日午前1時25分、熊本地震の本震が発生した。

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震災直後の南阿蘇村。倒壊した家屋の脇を自衛隊が通っていく(2016年4月17日撮影) ©AFLO

 最大震度7の激震。南阿蘇村でも震度6強を記録した。約28時間前の前震では震度5弱と「皿が何枚か落ちた程度」(橋本さん)で済んだが、今度は1万1000人強の村で16人が亡くなるという惨事になった。関連死を含めると死者は31人にのぼる。

約800人の若者が消えた村

 南阿蘇村には東海大学の阿蘇校舎(農学部)があり、学生からも犠牲者が出た。学生が住む下宿やアパートが倒壊するなどしたのである。橋本さんも下宿とアパートで49人の学生を預かっていて、そのうち2人が潰れた屋内で挟まっていると分かった。

「頑張れ、朝になったら助け出せるからな」

 暗がりの中、先にはい出した学生達が、声を頼りに2人の居場所を突き止めて励ました。余震で崩落する山から岩が転げ落ちる音が響きわたる中でのことだった。

 2人の学生は倒壊した建物の上から穴を開けて救出した。そのうちの1人は大腿部を骨折していて、ヘリコプターで鹿児島まで搬送された。

 大学は校舎の直下に断層が走っていたことが判明した。校舎も壊滅的な被害に遭った。このため、熊本市内のキャンパスへ移転していった。約800人の下宿生らも消えた。

正面玄関前のアスファルトはボコボコになっている(旧東海大阿蘇校舎)

 寂しくなった村。橋本さんは2年半の仮設住宅暮らしの間に「もう戻るまいか」と迷ったこともある。家は解体してなくなり、学生相手の下宿やアパートも再建する必要がなくなった。子供達は「お母さんの今後の人生を考えて住む土地を考えたらどうか」と言った。

「“学生”が帰ってくるかもしれない」

 それでも橋本さんは戻った。また地震が起きたら2階建ては危ないと、小さな平屋を建てた。

「“学生”が帰ってくるかもしれない」と考えたからだ。

 住民と学生の数があまり変わらないような地区だっただけに、両者の関係は密接だった。朝が弱い学生には「遅れるよ」とドアを叩いて起こす下宿のおばちゃんもいた。「夏にはバーベキューをしてくれた」と振り返る卒業生もいる。「第2の故郷」と懐かしむ卒業生が多く、折に触れて訪れては、下宿のおばちゃんに近況を報告し、恩師の研究室にも顔を見せていた。こうして南阿蘇村を訪れることを、卒業生は「帰る」と表現する。

「それなのに、大学も下宿もアパートもなくなっていたら、帰って来る子が寂しい思いをしてしまう。せめて私だけでもいてあげたい」と考えたのだ。