細心の注意をして、獣舎を一つ一つ確認する。もし猛獣が逃げ出していたら、襲われるかもしれないからだ。2016年4月に発生した熊本地震。震度7の激震が28時間に2度も襲うという観測史上初めての災害に、熊本市の同市動植物園の緊張は極限状態に達した。

 断水、ストレスによる動物の異常行動、猛獣の他園への移動……、矢継ぎ早に課題が押し寄せる。人間が苦しんでいる時に、動物園は必要なのかという、根源的な問いも突き付けられた。職員達はどう対処し、答えを見つけたのか。あれから5年間の動植物園を追う。

2016年4月に発生した地震の後、10カ月間休園していた熊本市動植物園 ©共同通信社

震度6弱の揺れに襲われた動植物園

 新型コロナウイルスの流行で遠出を控えた家族が訪れたのだろうか、今年3月下旬の動植物園は、平日だというのに親子連れで賑わっていた。

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「うわー、ライオン。仲がいいね」。男の子が歓声を上げると、母親が「ホントだぁ」とのぞき込む。

 同市動植物園の松本充史(あつし)副園長(48)が「ここです。ネコ科の獣舎は」と説明を始めた。あの夜、職員が恐る恐る見回った現場である。その中に松本さんもいた。

 4月14日午後9時26分、熊本県益城(ましき)町で震度7を観測する地震が発生した。隣の熊本市は震度6弱の揺れだったが、かつての湿地に建てられた動植物園の被害は極めて大きかった。

ネコ科の猛獣が他園に預けられてから戻るまでのパネルを前に説明する松本充史副園長

「とんでもないことになった」

 松本さんは発災時、飼育管理センターの2階で、生後間もないミミナガヤギ(主にパキスタンに生息)に人工哺乳をしていた。

 誰もいないはずなのに、ドアがパタンと閉まる。「あれっ」と思ったら、携帯電話の緊急地震速報がけたたましく鳴り響いた。揺れは次第に大きくなる。「外に逃げなければ」と立ち上がった。ヤギを抱えて下りようと階段の踊り場までたどり着いたが、そこで身動きがとれなくなった。それでもなんとか1階の診療部屋に下りると、室内で窒素のタンクが白い煙を吹き上げてきた。「爆発するのではないか」と思いながらも、煙の中を突っ切って外に出た。

 暗い園内では赤や青の警戒ランプが一斉に点灯していた。その光の中を、ないはずの川が流れていた。園内に張り巡らされた水道の配管が破断し、道路が川のようになっていたのである。

前震の発災時、松本充史副園長が人工哺乳していたミミナガヤギは毛並みの美しい大人になった

「とんでもないことになった」。だが、呆然としている暇はなかった。

 残業していた事務職員2人、近所の自宅から駆けつけた飼育員1人、帰宅中に戻ってきた獣医1人。とりあえず集まった4人を率いて、松本さんは園内の確認に歩いた。

 5人がまず向かったのはネコ科の猛獣舎だ。ライオンやトラがいる。ちょうど寝室にいる時間だったので、もし逃げ出すとすれば裏側だ。「いきなりは襲ってこないだろう。習性上うずくまって怖がるはずだ。人がそろうまで待って、麻酔の準備をし……」などと、頭の中で算段した。立場上、先頭に立つのは松本さんである。万一の時に真っ先にやられるのも松本さんだった。