阿蘇外輪山の麓にある熊本県西原村は、2016年4月16日の熊本地震の本震で、震度7の激震に見舞われた。
しかし、両隣の益城(ましき)町や南阿蘇村ほどには注目されなかった。益城町の死者20人(関連死を含めると45人)、南阿蘇村の死者16人(同31人)と比べると、西原村の死者5人(同9人)は震度の割に少なかったからである。
なぜ西原村では死者が少なかったのか?
比較的死者数が少なかったのはなぜか。これには西原村ならではの理由があるのだが、意外に知られていない。
ひと言でいえば、集落の力だ。皆で協力してことに当たり、犠牲者が増えるのを防いだのである。
これこそ、語り継ぐべき事実ではないか。
復旧・復興工事が進む西原村では、震災遺構としての建物がほとんど残されていない。それよりもむしろ目に見えないコミュニティの力を「遺構」ととらえ、後世に語り継いでいこうとしている。
益城町や南阿蘇村のような「ハードの遺構」が災害の恐ろしさを伝えるならば、西原村のような「ソフトの遺構」は防災力や生き延びる術を伝えることになる。「遺構なき遺構」の伝承とでもいうべき新しい試みが始まっている。
88パーセントの住宅が全壊した集落
4月14日夜の前震で震度6弱を記録した西原村。まだこの段階では本当の危機に直面していなかった。
25戸ほどの大切畑集落に住む坂田哲也さん(64)も、朝になると勤務先へ向かった。
しかし、その夜に寝静まってから、つまり4月16日午前1時25分の本震はレベルが違った。坂田さんは「震度7とはこれほど凄いのかと驚きました」と話す。
坂田さんがいつも寝ていた部屋ではタンスが倒壊し、もしそこにいたら命がなかったかもしれない。万が一のことを考えて、玄関の近くで寝ていたので助かった。ピアノが足元に倒れてきたものの、かすり傷程度で済んだ。
隣家に住む高齢女性の安否確認に駆けつけると、「また地震があるかもしれない」と車の中で寝ていて無事だった。
村役場で今年3月まで復旧・復興対策を担当していた山田孝係長(48)は、「前震、本震と2度も地震被害に遭って大変だねとよく言われます。でも、車やリビングなどいつもと違う場所で寝ていて助かった人が大勢います。実は前震に救われた人が多いのです」と語る。
ただ、大切畑では88パーセントの住宅が全壊した。「集落壊滅」と言ってもいいような状態だった。