18日までの3日間は駐車場にテントを設営して臨時庁舎とした。風雨の中、職員がテントを押さえてしのぐような場面もあった。19日には体育館に移ったが、市役所各課だけでなく、災害派遣された団体も早い者勝ちで執務スペースを確保するような状態だった。パソコンが持ち出せず、当初は各課に1台程度しか置けなかった。そのため、電子メールでの案内が見られず、県が招集する会議に出席できなかったこともある。
当時の防災担当者だった池田忠陽・地籍調査課長(48)は「市内の被災情報がなかなか収集できず、非常に焦りました」と振り返る。危機管理課の浅野正二係長(46)は「全国どこの自治体も庁舎が壊れないようにだけはしておかなければ災害対策になりません」と教訓を語る。
潰れた庁舎は発災した年のうちに解体された。跡地では今年4月から新庁舎の建設が始まり、23年に完成の予定だ。
「遺構なき遺構」の伝承に向けて
同県御船町は、前震の震源地とされ、住宅444棟が全壊した。町全体では3割以上の世帯が半壊以上とされた。あれから5年が経ち、住宅の再建が進む。仮設住宅の入居者は最後の1世帯だけになった。この1世帯も近く自宅の建設に踏み切るという。
1855年に建造された熊本県指定重要文化財の石橋「八勢目鑑橋(やせめがねばし)」も一部が崩落したが、修復は終わった。町内では地震の痕跡がほぼ目につかなくなった。
だからこそ語り継ぎに取り組む。3月まで御船町役場の復興担当だった本田恵美係長(47)と藤江亮太さん(23)は「八勢目鑑橋などを巡りながら、観光ガイドにそれぞれの被災体験を話してもらうよう計画しています」と話す。藤江さんは新入職員として採用から2週間で被災し、5年間の職員生活はほぼ地震対策だった。「機会があれば私も話していきたい」と意気込む。
宇土市も御船町も、物としての遺構としてはないに等しい。「遺構なき遺構」の伝承が活動の中心になる。だが、物に頼れない分、語り継ぐための努力が必要になるはずだ。
何を伝えられるか。これからがむしろ踏ん張りどころだろう。
撮影=葉上太郎