「3回目の震度7が来るかもしれない」という恐怖
停電が続いて獣舎の掃除ができなくなり、発電機などを調達した。衛生状態が悪くなれば、動物に感染症が発生しかねない。
獣舎の破損は一段と進み、アジアの山岳地帯に生息するユキヒョウの展示場では、天井に隙間が出来て逃げようと思えば逃げられるほどの幅になった。これらネコ科の獣舎の状態が一番悪く、「もし3回目の震度7があれば、それこそデマではなく猛獣が逃げ出すのではないかという不安が出てきました」と、松本さんは振り返る。
それだけではない。展示場の破損で外に出せなくなった。寝室に閉じ込めていては健康が保てない。不安定な状態が続くと、その時はしのげても、後で大きな影響が出てくることがある。これは人間も同じだろう。そこで、本震から1週間後、九州各地の4園に4種5頭のネコ科の動物を預かってもらった。
松本さんは「一度預かってもらったら、二度と戻って来ないかもしれない」と不安だった。「そもそも地震の影響も受けているのに、移動や環境の変化は大変なストレスになります。案の定、アムールトラ(中国東北部からロシア沿海州の針葉樹林の森に生息)はしばらく食べなくなって、預かってくれた動物園を心配させました」。
チンパンジーは飼育員に体を寄せて……
動物にとって絶食は死を意味する場合もある。肉食のネコ科動物は比較的絶食に耐えられる体のつくりになっているが、草食獣のダメージは著しい。「牛と同じで、胃の中に微生物を飼っています。葉っぱを分解して栄養にするためです。食べないと微生物層が変化してしまい、なかなか戻りません。そのまま衰えてしまったり、病気がちになったりして、寿命を縮めてしまいかねません」と松本さんは説明する。
霊長類は心理的な打撃が大きく、特に葉っぱを主食にしているアンゴラコロブスは1週間も食べなかった。アフリカ中部に生息しているオナガザルの仲間だ。担当飼育員が同じく葉っぱが主食のキンシコウを長年飼育してきたベテランだったのが幸いした。根気強く手渡しで給餌すると、なんとか食べ始めたのだ。キンシコウは中国に棲むサルで、金色の体毛が美しい。孫悟空のモデルとされていて、国内では熊本市動植物園だけで飼われている。
こうした飼育員と動物の関係は難しい。「野生動物なので馴(な)れさせてはいけません。ただし、動物は飼育員を覚えます。大事なのは飼育員との信頼関係なのです」と松本さんは話す。アンゴラコロブスが危機を脱したのは、この信頼関係があったからだと言える。
チンパンジーは人間に近いだけに、最も心理的な打撃を受けたようだ。天井の格子などに必死でつかまり、指に擦り傷ができた個体もあった。中でも人工哺育で育ったメスのクッキーはなかなか不安を解消できず、飼育員らに体を寄せたり、鼻声で鳴いたりした。このためスタッフは体をさすり、差し出した指を握った。
「人工哺育の個体は普段から行動が異なります。本来は群れで行動するのに、群れに戻りきれないのです。通常でも人への依存が出てくる場面があり、それが地震で極端に出たのでしょう。人工哺育をするのは親が育児放棄するためで、せめて生まれてきたのだから生かしてあげたいと思います。でも、どこまで人が関与するのか。これは園によっても獣医によっても意見の違いがあり、悩ましい問題です」と松本さんが解説する。
他の動物も、発災当初はシマウマが獣舎内で走り回って壁にぶつかり、擦り傷を負った。カバは水に潜ったまま30分以上浮かんでこなかった。アフリカゾウは耳を広げて興奮状態で歩き回った。しかし、時間の経過と共に、徐々に落ち着いていった。