大蛇伝説は地震の教訓だった?
その話し合いの中で「地震のことを次の世代に伝えなければならない」という問題意識が高まった。
堂園地区には大蛇伝説があった。山際の蛇ケ谷(じゃがたに)に、長さ15間(約27メートル)もの大蛇がいた。怖くて住民は外に出られないような状態だったが、旅の僧がお経を唱えると、大蛇はおとなしくなり、罪滅ぼしに池を掘った。蓮の名所で堂園のシンボルになっている堂園池である。大蛇はこの池の主となったが、隣村に住む妻の大蛇に会いに行った時、山焼きが行われていたため、2匹とも死んだ――という物語だ。
田上さんは「蛇ケ谷はまさに断層上にあります。断層は何度も動いてきたので、昔の人には大蛇のように見えたのかもしれません。警戒するよう後世に伝えようとしたのではないかと思います」と話す。ただ、大蛇伝説が地震の教訓であると気付く人はほとんどいなかった。
今度は確実に伝えていかなければならない。
そこで、まちづくり協議会に震災記録保存部会を設け、全住民に呼び掛けて証言集を作成した。資料的価値が高いのは、同じ家族でもそれぞれ異なる被災体験が掲載されていて、多角的に被災体験を浮き彫りにした点だ。心に傷を受けて「思い出したくない」という人の声もそのまま掲載した。生身の人間の声が伝わってくる。池の魚がはねるなど地震の前兆現象を体験した住民がいたことも分かった。
堂園には教育旅行で断層見学に訪れる学校が増え、若手が語り部活動を始めた。
田上さんは「小さな資料室を建てて、何が起きたかを伝えていきたい。見学者と住民が気軽に話ができるような場になれば」と構想を描いている。
一度外に出た若者が戻り始めた
こうした取り組みが続く堂園には変化が現れた。従来は区長を務めるような年代の男性達の考えで地区が動かされてきたが、若手や女性の意見がいかされ始めたのだ。まちづくり協議会では意識して若手や女性に動いてもらったためもあるが、発災時に若い消防団員の献身的な活動を見て実力を認めた住民が多かったのだともいう。若手が動くことで、地区独自の花火大会を実現させるなどしてきた。
「地震ではつらい目に遭いました。きついことには地区の皆で当たってきましたが、楽しいことも皆で一緒にやりたい。若手を巻き込んだら、それができるのです」と田上さんは笑う。
このところ、堂園では一度外に出た若者が家を建てて戻る例が目立っている。もちろん自宅の再建を諦め、公営住宅に入ったり、子供の家に身を寄せたりした高齢者もいる。「断層があるのにまだ住むのか」と首を傾げる人もいる。だが、もともとの団結力に加え、若手や女性が力を発揮し始めた堂園には、断層のリスク以上の魅力を感じる人が多いのかもしれない。「今、最も活力のある地区」と話す役場職員もいる。
被災だけでなく、そうした集落の在り方の変化についても、語り継いでいってほしい。
撮影=葉上太郎
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