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“横浜集団離脱”を救った三浦大輔「全開バリバリ物語」

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/05/12
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 7回に初安打を許し快挙は逃したものの、三浦は見事158球1失点完投で3勝目を挙げる。先発陣の盛田幸妃と斎藤隆がリリーフで待機する中、「オレに任せろって」とばかりに余裕で投げ切り、風邪っぴき打線の中で4の3、4打点を挙げた男気。我々は「三浦ってすげえなあ」「バンバン打ちに行くし昔の遠藤(一彦)みたいだな」と同世代の次期エースの台頭にワクワクしながら野毛で安酒を飲んだ。

「“ハマのオートバイ”と呼ばれる三浦にエースの風格」

 翌4月26日のサンケイスポーツはまだ高校生っぽさの残る笑顔でガッツポーズする三浦が一面を飾り、“三浦全快祝い”“虎も風邪もぶっ飛ばす”の見出しが躍った。記事には「オートバイ野郎・三浦を筆頭に若い力がエンジン全開」「“ハマのオートバイ”と呼ばれる三浦にエースの風格」と書かれていたが、我々ファンが三浦大輔をオートバイ野郎と称した覚えはない。ハマの番長と呼ばれるようになったのは少なくとも雑誌フライデーで清原和博の『番長日記』が始まった1997年以降、98年の優勝後だろう。三浦が“番長”になる少し前の過渡期を象徴する表現である。

1996年4月26日付のサンケイスポーツ。“オートバイ野郎”三浦大輔の完投勝利で貯金9のベイスターズは首位を走っていた。 ©黒田創

 96年のベイスターズは4月を15勝6敗の首位で駆け抜けたものの、5〜9月はすべて負け越して結局借金20の5位。三浦大輔も7連敗を喫するなど5勝10敗と不本意な成績に終わった。だがチームも三浦も翌97年から確変状態に入ったのは皆さん知っての通り。96年春の快進撃は、その助走だったのだ。

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 47歳になった三浦新監督は今のチーム状況にしんどい思いをしていることだろう。かつての自分のように完投できるピッチャーを、と思っても一朝一夕にはいかないし、作戦はうまくハマらない。ケガ人も多いしチームは未成熟だ。

 だけど四半世紀前から何度も何度もベイスターズを色んな意味で救ってきた男が船頭となって戦っている。96年4月25日、寒空のもと三浦大輔に感じた“意気”を僕はずっと信じていたい。

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