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“強いドラゴンズ”を見ていないアナウンサーの私がドラゴンズファンになった理由

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/05/13

 みなさま初めまして! フリーアナウンサーの舘谷春香です。この度、大山くまお監督からお誘いいただき初登板をさせていただく運びとなりました。今回は自己紹介がてら、ドラゴンズファンとなったきっかけなどを綴らせていただければと思います。

©舘谷春香

友達がいなくて、ドラゴンズファンになった

 仕事で野球解説者の方とご一緒する機会があるが、ドラゴンズファンだと言うと「東京出身なのに珍しい」と言われる。しかも私は、かつての強かった中日ドラゴンズを観てファンになったわけではなく、7年連続Bクラスの最中にファンになったので、とんだ変わり者だと思われているようだ。「仕事で名古屋に住んでいたときにあまり友達がいなくて、やることがなかったのでナゴヤドームに野球を観に行っていた」と言うと、大抵の解説者は私を哀れむ眼で見つめる。

 2016年に、NHK名古屋で土曜の朝に放送している「ウイークエンド中部」のキャスターになった。名古屋に住んでいたのはたった1年半だったが、その間に熱狂的なドラゴンズファンになって東京に帰ってきたので、今思えば人生を変えた1年半でもあった。

 初めて現地で試合を見たのは2016年4月9日。会社の先輩に誘われていったナゴヤドームでの巨人戦。荒木雅博さんが通算2000試合出場を達成した日だった。延長12回0対0という野球観戦ビギナーには少々退屈に感じてもおかしくない試合だったが、私の心が躍るには十分だった。初めて球場で打球の音を聞き、ファンの歓声を聞き、球場グルメを食べ、私はずっとわくわくしていた。実はこの日、私は「ウイークエンド中部」を担当した初日だった。名古屋での仕事はじめと同時に、ドラゴンズファンになったのだ。

©舘谷春香



 前述したとおり名古屋にあまり知り合いがいなかった私は、やることがない休みには1人で試合を見に行くようになった。高校時代ソフトボール部だったので勉強をしなくてもルールが分かるという点も気軽だった。そのうち少しずつ名古屋での知り合いが増え、試合を語れる相手も増えたことで愛は増していった。今やCBCラジオでお馴染みのカトリーナは、NHK時代に隣の席で仕事をしていた名古屋での数少ない友達の1人だ。

 私が名古屋にいた2016年・2017年、ドラゴンズは最下位・5位と成績は振るわなかったものの、だからこそ1勝に大きな喜びを感じることができた。勝てない中でも、京田陽太選手の新人王やゲレーロ選手のホームラン王など、当時の私の胸を高鳴らせる材料は多くあった。東京に帰ることになった1年半後、私はすっかりドラゴンズファンになっていた。

ナゴヤドームにてカトリーナ(加藤里奈)と ©舘谷春香

東京のドラゴンズファンは結束が固い

 2017年10月。私はNHK名古屋を辞め、東京のラジオ局・文化放送にアナウンサーとして入社した。東京に帰ってきて嬉しかったことがいくつかある。一つは、思っていた以上にドラゴンズの試合がたくさん見られるということ。東京ドームも神宮球場も横浜スタジアムもいける! と思うと嬉しくなり、名古屋にいた時よりも多く球場に通うようになった。

 そしてもう一つ嬉しかったことは、東京のドラゴンズファンの結束の固さだ。文化放送といえばライオンズナイターということもあってライオンズファンが多いのは勿論だが、実は文化放送内にもドラゴンズファンがいる。すごく恥ずかしそうに「実は僕も(私も)、ドラゴンズファンで……」と声をかけてくれる人が何人もいたのだ。文化放送を辞めた今でも、試合の結果で連絡を取り合う仲となった。
 
 この文春野球で「どうでもいいニュース」を配信しているカルロス矢吹さんも文化放送のドラゴンズとは全く関係がない仕事で出会ったが、同じドラゴンズファンとして東京竜党の仲間たちをたくさん紹介してくれた。球場に行けばドラゴンズファンの知り合いに会えるのが嬉しかった。友達がいなくてドラゴンズファンになった私が、ドラゴンズをきっかけに多くの仲間を作ることができたのだ。