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ベイスターズファンの私にとって「エース」とは? 探し続けていたのは今永昇太だった

文春野球コラム ペナントレース2021 共通テーマ「エース」

2021/05/27
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エースとは「全てを受け入れる」ことなのではないでしょうか

 昨年10月に受けた肩の手術から、今永がようやく帰ってきた5月20日。どんよりした空から絶え間なく雨粒が落ちていたこの日、残念ながら一軍復帰登板は中止となりました。かつて雨での試合中止に際し「雨の日に勝たないと雨男じゃないです。雨の日に負けるとシンプルに力のないピッチャー」と厳しい口調で自身を省みた今永が、この日は静かにこう言ったそうです。

「そうですね、こういう梅雨の時期なので、皆さんに日本の四季を楽しんでいただけたらと思います」

 天候にまで謎の勝負を挑んでいたあの日の今永はもういない。そこにいるのは自然のあるがままを受け入れようとする、新しい今永でした。

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今永昇太 ©文藝春秋

 先生、エースの条件は、ただ投げるだけではないと思うのです。エースとは「全てを受け入れる」ことなのではないでしょうか。勝てないことも、ホームランでしか勝てないことも、ホームラン打っても勝てないことも、采配もジャッジも、雨も風も株価も新垣結衣の結婚も森羅万象受け入れて、マウンドに立つ人のことを、私は「エース」と呼びたい。ベイスターズの四季を受け入れようとする今永昇太を、エースと呼びたいのです。だからこそ、今年こそ彼自身の口から「今永昇太はベイスターズのエースである」と聞きたい。 今までそれを頑なに否定してきた今永自身に「エース」を受け入れて欲しいと切に願うのです。

 先生、何が起きても驚かない、何が起きても怖くないなんて、ウソでした。仕切り直しの復帰登板、5月23日のヤクルト戦、私は怖かった。初回に四球を連発して、塁を埋めては痛打され、こんな手探りのような今永を見たのは久しぶりでした。テレビの前で握りしめた手は冷たく、胸が苦しかった。しかしその怖さを上回る喜びがあったのも本当でした。今永が帰ってきてくれたことがうれしくてたまらなかった。探し続けていたエースが今ここにいる。100人態勢で探し続けていたアミメニシキヘビがこっそり屋根裏に隠れていたように。

 先生、ここだけの話なんですが、私ベイスターズを「弱い」って思ったことないんです。だってそこにはただあんまり勝てないというファクトがあるだけだから。そしてあんまり勝てないというファクトは、これから勝てるという希望を常に携えてるんです。この理論、長年オリックスを見つめ続けた先生ならきっとわかっていただけるはず。常に、強い者に立ち向かうのがベイスターズであり、そこに選手人生の全てを捧げた三浦大輔がいて、三浦引退の年にルーキーだった今永昇太が今、エースとしてここにいる。やったぜ。こんな感じで「なんか明日は勝つ気がする」と、これを何十年も繰り返して44歳になりました。

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