今年は1901(明治34)年に昭和天皇が誕生してから120年という節目の年です。

 崩御されてすでに30年以上が経ち、多くの方の記憶に残る昭和天皇のお姿は後半生でしょう。いまや知る人の少なくなった昭和天皇の幼少期や、若かりし頃、そして「自分の花は欧洲訪問の時だつた」と天皇自身が述懐した1921(大正10)年のヨーロッパ訪問でのエピソードを紹介している記事が、「文藝春秋」5月号に掲載された「昭和天皇を支えた『英国王のスピーチ』」です。

 筆者の梶田明宏氏は宮内庁書陵部の一員として、昭和天皇の毎日の事跡を記録している『昭和天皇実録』(以下、実録)の編修に携わりました。その梶田氏から、今回は盛り込めなかった「昭和天皇ちょっといい話」をお聞きしたので、ご紹介しましょう。

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生物学御研究室にて(大正14年)

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節約する昭和天皇

 昭和天皇が即位したのは、大正天皇が崩御した1926(大正15/昭和1)年12月ですが、1年間の服喪期間があったので、積極的に天皇としてのつとめを果たすようになったのは1928(昭和3)年からです。

 その翌年、天皇に叱責されて田中義一首相は辞職、内閣も総辞職しました。

 それをうけて発足した浜口雄幸内閣では、井上準之助蔵相のもと、金解禁のために緊縮財政政策を実施しました。

 そうした方針をうけて、昭和天皇も節約しようということで、「年末・年始・中元その他における皇族間の贈答等の廃止」という意思を侍従たちへ伝えます。当時は皇族たちの間で、大々的に贈答がなされていたのでしょう。

 その結果、「年末年始の贈答はもとより、御日常における諸儀の祝品の贈答においても、あくまで旧弊を避け質素に執り行うことが申し合わされる」(実録・昭和4年9月2日)ことになりました。

 また、緊縮財政の一環として、いまでいう国家公務員の減俸案が提案されます。これは結局、大反対にあって頓挫しますが、昭和天皇はこの案をうけて、「官吏服制の統一単純化」という意見を側近へ伝えています。

 当時の公務員は、公式儀礼の場では定められた高額な礼服を着なければなりませんでした。そこで、ただ給料を下げるだけではかわいそうなので、公務員の服制を単純にして、金銭的な負担を減らしたらどうか、という細やかなお考えでしょう。