昭和天皇の未練
この緊縮財政に協力するため、昭和天皇は贈答品の削減だけではなく、とても楽しみにしていた御用邸の建設を断念しています。
昭和天皇は公務のかたわら生物学研究に打ち込み、それが趣味という範疇を超えて、心の支えだったことは、「文藝春秋」5月号の記事でも触れられています。
その研究の拠点として、いまの三浦半島の初声町に御用邸の建設を希望しており、すでに土地も購入済でした。
おなじ三浦半島で、初声の北にはすでに葉山御用邸がありましたが、どうしても人目につくという問題があったのです。
香淳皇后は泳ぐことや、スカルというボートを漕ぐのが好きだったのですが、葉山ではなかなか思うにまかせない。でも初声の御用邸予定地は入り組んでいる場所にあり、人目につかないから、皇后が趣味を楽しむのにもいい。昭和天皇はとても楽しみにしていました。
ところが国は緊縮財政のうえに、経済状況もよろしくない。
そこで昭和天皇は1929(昭和4)年10月28日、宮内大臣の一木喜徳郎へ、「初声御用邸の建築は目下の経済界の状況に鑑み当分延期せよ」と伝えています。
その10日後の11月7日、昭和天皇はつぎのような御製(和歌)を二首、詠みます。
初声御用邸の工事を延期して一大決心を示したるに
我が理想は一つも実行され居らざるを見て
つとめつる かひあるへきを 山吹の 実の一つたに なき世をそ思ふ
つとめつる かひあらされは 山吹の 実の一つなき うたをしそ思ふ
前に述べたように公務員の減俸案は廃止されるなど、なかなか節約は進みません。自分の最大の楽しみを我慢しているのに……、という昭和天皇の嘆きが伝わってきます。
大酒飲みの高橋是清と合成酒を酌み交わす
節約に関していえば、昭和天皇の茶目っ気がうかがえるエピソードがあります。
以下のリンクはスーパーコンピュータ「富岳」などで知られる理化学研究所(理研)のサイトです。
https://www.riken.jp/pr/historia/riken_shu/index.html
このサイトには、ビタミンB1の発見で知られる鈴木梅太郎が、1918(大正7)年の米騒動をきっかけに、原料に米を使わない合成酒の開発に取り組み、開発に成功して「理研酒」として販売したとあります。
これに昭和天皇も着目していました。
毎年日本では多量に米を輸入しなければいけない状況だったのに、その輸入量とほぼ同量の米を酒造りに消費していました。その状況を憂えていたのです。