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 1929(昭和4)年10月11日、昭和天皇は元総理の高橋是清、若槻礼次郎を晩餐へ招待しますが、このとき昭和天皇の意向で二人へ供されたのが理研酒です。

 二人とも飲んでいる酒が合成酒であることに気づかないまま宴はすすみ、偶然、話題が理研酒のことになりました。

 高橋是清が昭和天皇へ理研酒について説明したところ、それを聞き終わった昭和天皇は、はじめて今日の酒が理研酒であることを種明かし。「両名(引用者註:高橋・若槻)は恐縮する」と実録にあります。

 若き青年君主のちょっと得意げな表情が目に浮かぶようです。

5歳のころ(明治40年)

 浅見雅男『明治天皇はシャンパンがお好き』(文春新書)によると、明治天皇、大正天皇はかなり酒をたしなんだようですが、昭和天皇はまったく酒類を口にしなかったといいます。

 一方で高橋是清は大変な酒豪だったそうです。『明治天皇は~』によると、若いころ、九州唐津で英語教師だった是清は、朝、学校へ行く前に冷酒を飲み、昼にも1升(約1.8リットル)、夜は同僚と酒盛りで、毎日3升は飲んでいたとか。

 そんな大酒飲みを招いたから理研酒にしたのでしょうか。

 実録では、「理化学研究所の人造酒が通常の清酒とほとんど区別出来ない程の品質であることから、宮中におけるすべての饗宴等において従来の清酒に代えて理化学研究所の人造清酒を用いたき思召しを示される」(昭和4年10月11日)とあります。

 一木宮内大臣らが協議した結果、四大節(新年節・紀元節・天長節・明治節)だけは従来通りにして、他は合成酒を用いることを昭和天皇へ願い、「御嘉納になる」とあります。

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出典:「文藝春秋」5月号

「文藝春秋」5月号および「文藝春秋digital」に掲載された「昭和天皇を支えた『英国王のスピーチ』」では、同じく昭和天皇の人間味を感じさせるエピソードとともに、大きな成長の機会となった100年前のヨーロッパ訪問、そして戦中、戦後の肉声を紹介しています。

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