地元の農民は屍体から衣服や所持品を剥ぎ取っていった
そのうちに、地元の農民などがこの混乱に乗じて略奪している様子が目に入った。暴徒と化した彼らは、鎌や包丁、棒などを持ち、屍体から衣服や所持品などを剥ぎ取っていた。
(見つかったら暴行される)
そう思った政子は、瀕死の節子を背負い、他の数名と共にその場を逃げ出した。
這うようにして山の裏手へと逃げ込んだ彼女たちの目の前には、断崖が広がっていた。政子は節子をおぶったまま、崖の縁から飛び降りた。
(どうぞ死ねますように)
と祈りながら。
しかし、今度も死ぬことはできなかった。落下の衝撃で身体に激痛が走ったが、命にかかわるような重傷ではないようだった。節子にも息があった。
だがやがて、追い剥ぎの暴民たちが近づいてきた。政子は死んだふりをするしかなかった。
暴民たちは節子を引き離し、政子の衣服をすべて剥いだ。それでも政子は我慢して死んだふりを続けた。
暴民たちはやがて去っていった。以降に起きたことについては、政子の手記から引こう。
〈泥土の上に無惨に放り出されて、俯伏せに手足を伸ばしている裸の節子をそっと抱き起こしたら、ごろごろと咽喉が鳴って、大きな呼吸を一つ残して、こと切れた。どんなに苦しかったことだろう。『辛かっただろうね節子、御免なさいね、母ちゃんも行くから御免なさいね』。裸の腕にしっかり抱きしめた節子が、だんだん冷たくなってゆく。手も足も固くなってゆく。『あゝ、許して、許して』。抱いたまま草の上に身を投げて、私は身を悶えて泣いた〉(同前)
殺戮の翌日に、戦争は終わっていた
葛根廟の丘は、屍体で埋め尽くされた。流れ出た血が、赤というよりもどす黒く、不気味に丘を染めていた。冷たくなった母親の乳房を吸い続ける赤ん坊の姿もあったという。
前日の雨水が溜まっている窪地があった。その水溜りの周囲には、とりわけ多くの屍体が折り重なっていた。最期に水を求めて集まってきたのであろう。
その水は血に染まっていたが、それを見つけた生存者たちは貪るようにしてその液体を飲んだ。
翌15日に戦争は終わった。しかし、生存者たちはそんな事実を知ることもなく、さらなる逃避行を続けた。