文春オンライン

《三宅裕司70歳に》「飲みに行くときは団員に絶対払わせない」 “親分肌”の名司会者はなぜ生まれたのか?

5月3日はタレント・三宅裕司の誕生日

2021/05/03
note

劇団が長続きした理由は「座長の人柄と金遣い」

 SETが結成30年を迎えた際、劇団が長続きした理由を訊かれて、三宅が《座長の人柄と金遣いじゃないですか》と冗談めかして答えたのを受けて(金遣いというのは、劇団で飲みに行くときには団員には絶対に支払わせないことを指す)、小倉久寛は《「この人について行けばなんとかなる」ってカリスマ性みたいなものが三十年前くらいからあったんですよ。徐々にお客さん増えてくるし、いろんな人から注目されるようになっていく。だからみんなついてきたんじゃないですか》と語っている(※6)。

小倉寛久 ©️文藝春秋

 劇団にかぎらず、いかに三宅が多方面で人望を集めているかを示すエピソードがある。それは10年前に還暦を迎えたときのことだ。

天国のような還暦祝い

 発端は、ジョン・ピザレリという三宅が大好きなジャズミュージシャンが来日して青山のブルーノート東京で公演をする、しかも業界関係者向けのシークレットライブで一般にはチケットが売り出されていないと、マネージャー経由で知らされたことだった。三宅は、すぐにチケットの手配を頼んだ。だが、コンサート当日、マネージャーが遅刻してきて開演に間に合わない。怒りながら急いで会場に飛び込むと、いきなり自分にピンスポットが当たる。ピザレリが客席から登場してきたのだと思って、ライトをよけると、傍らにいたマネージャーにライトのなかに押し返されてしまう。それでハッとして周囲を見渡せば、そこには彼がこれまでお世話になった300人以上もの人々が集まっており、やがてペンライトを揺らしながら「ハッピーバースデイ」を歌い始めた――。そう、ピザレリの来日もシークレットライブというのもすべて嘘で、じつは三宅の還暦祝いのため用意されたサプライズだったのである(※7)。

ADVERTISEMENT

 そんな天国のような還暦祝いの翌月には一転、脊柱管狭窄症で緊急入院となった。かなりの重症で、当初は所属事務所のスタッフが担当医から「最悪、二度と舞台には立てないかもしれない」と宣告されたほどだったが、手術後、リハビリに励んで見事に復帰する。長い入院生活のなかで三宅は、自分の原点である喜劇と改めて大事に向き合いたいと思い、東京喜劇の継承を誓ったという(※8)。

『Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー~日米爆笑保障条約~』 公式ホームページより

 昨年には予定されていた「熱海五郎一座」の公演『Jazzyなさくらは裏切りのハーモニー~日米爆笑保障条約~』がコロナ禍により延期を余儀なくされ、今月30日にようやく初日を迎える。無事、幕が開くことを祈りたい。

※1 『週刊朝日』2020年6月12日号
※2 三宅裕司『錯乱の飛翔星人』(朝日出版社、1985年)
※3 三宅裕司『いまのボクがこうなわけ』(講談社、2003年)
※4 『婦人公論』2019年9月24日号
※5 『週刊文春』2012年4月19日号
※6 『悲劇喜劇』2009年11月号
※7 『週刊現代』2012年11月10日号
※8 『婦人公論』2012年5月7日号

《三宅裕司70歳に》「飲みに行くときは団員に絶対払わせない」 “親分肌”の名司会者はなぜ生まれたのか?

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー