昨年の12月にもたらされたキム・ギドクの死は、多くの映画ファンに衝撃を与えた。

 巨匠と呼ばれながら「韓国で最も嫌われた監督」とも言われたキム・ギドクとは何者だったのか。

キム・ギドク:1960年韓国慶尚北道奉化郡で生まれる。1996年、『鰐 ワニ』で映画監督としてデビュー。その後『嘆きのピエタ』などで各映画祭の賞を獲得し世界的に高い評価を得る。2020年12月、滞在中のラトビアで新型コロナウイルスのため死去。

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 最近、世界の映画シーンでは韓国人監督の活躍が目覚ましい。カンヌやアカデミー賞を制覇した『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督をはじめ、2020年にはホン・サンス監督が『逃げた女』でベルリン映画祭の監督賞を受賞し、韓国系アメリカ人のチョン・イサク監督は韓国人のアメリカ定着期を描いた『ミナリ』でゴールデングローブの外国語作品賞を受賞した。

 韓国映画はいつからこのように強くなったのだろうか。韓国の映画評論家のチェ・グァンヒさんは、「世界の映画界で韓国映画に対する格別な注目が始まったのは、キム・ギドク監督の登場が契機になった」と話す。「キム・ギドク監督は、独特な映画世界を構築し、ヨーロッパをはじめとする欧米で韓国映画を代表する監督として認められ、事実上K―wave、すなわち“映画韓流”を導いた人だ。『春夏秋冬そして春』(2003年)など、彼の初期映画を見たヨーロッパの監督たちは絶賛を惜しまず、キム監督の存在こそが韓国映画に対する全体的な評価を高める役割を果たした」

キム・ギドク監督 ©AFLO

 キム・ギドクは、ポン・ジュノ、パク・チャンウク、ホン・サンスらとともに、90年代半ばにデビューし、韓国映画界のルネサンス期を率いたという評価を受けている作家主義監督の一人で、彼らの中で一番先に世界から認められた人物でもある。

 1996年『鰐 ワニ』で映画界入りしてから、8年目の2004年には『サマリア』でベルリン映画祭の「銀熊賞」を、同年に『うつせみ』でベネチア映画祭の「銀獅子賞」を受賞した。2011年の『アリラン』でカンヌ映画祭の「ある視点」部門で最優秀作品賞を受賞し、世界3大映画祭を席捲した。また、2012年には『嘆きのピエタ』で韓国人監督としては初めてベネチア映画祭でグランプリを受賞し、韓国の映画界を驚かせた。

 だが、これほどの受賞歴にもかかわらず、彼は韓国映画界の主流に組み込まれず、「アウトサイダー」「異端児」として扱われてきた。韓国在住の映画プロデューサー兼映画評論家の土田真樹さんは、「キム・ギドクの映画は、人々が背を向けたい部分をわざと見せてくれる“居心地悪い!”映画だ」と説明する。

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「キム・ギドクの映画で見られる女性に対する性的暴行や暴力があふれる世の中は、世界のどこにでも存在する。しかし、人々はそれを見たがらない、また見せたくもない。この、背を向けたい部分をわざと見せるのがキム・ギドクだ。例えば、『パラサイト』のキムの家族は住む空間があり、電気を止められずに暮らせる程度の貧困層だ。こうした家族は周りに存在するため、観客は彼らを見て同質感を得る。

 しかし、キム監督はむしろ拒否感を持つ社会の最下層の暮らしを赤裸々に暴き出す。まさにこうした点が、他の監督には絶対に撮れない“キム・ギドクだけの映画”を作り上げる力であると同時に魅力なのだ」。キム・ギドク監督の映画の男性主人公たちは一様に韓国社会で「悪人」に区別される人間群像だ。