「巨匠」から「破廉恥漢」へ
「忙しすぎて映画を見る余裕がなかった」というキム・ギドクは、32歳の時に初めてアメリカ映画『羊たちの沈黙』とフランス映画『ポンヌフの恋人』を見た。映画に夢中になった彼は、帰国後シナリオ学校に登録し、夢中でシナリオを書き続け、1995年『無断横断』というシナリオが映画振興委員会公募に当選する。
そして翌年、『鰐 ワニ』を以て監督としての第一歩を踏み出した。初めて映画に接してからわずか4年後のことだ。名門大学を卒業した、いわゆる社会のエリートたちやブルジョア出身の監督たちが主流だった韓国映画界で、キム・ギドクの登場は衝撃的でありながら警戒の対象だった。無学に近い学歴や正式な映画教育を受けることができなかった彼の作品は、徹底的に無視されるか、厳しい評価を受けた。特に、彼の映画で描かれる極端な暴力性について、韓国メディアは不快感を隠さず、暴力性の源泉を彼の生い立ちに求めるような記事が殺到した。
キム・ギドク本人も自らを「劣等感にとらわれた怪物」と表現するほど、学閥と出身に対するコンプレックスがあった。そのせいで自分が主流映画界や評論界から差別を受けているという認識も強く、韓国メディアのインタビューを極度に敬遠した。
「私のこれまでの数多くのインタビューが、私の言葉とまるで違っていることをいつの間にか感じていました」「私の言葉を引用して前に置き、そこに注釈をつけること、そんなものの中には、非常に無礼なものが多いのです。たとえば、キム・ギドクのこのような言葉からみると、彼はお母さんの愛を受けられなかったようだ、などというような…とても恥ずべき話です」(『キム・ギドク、野生あるいは贖罪羊』より)。
「彼は韓国の記者からはあまりインタビューを受けようとしなかった。韓国メディアは嘘ばかり書くとよく言っていた。韓国の記者たちは映画より私生活のような部分に対する質問が多く、彼の気持ちを悪くさせたようだった。それに比べて私生活に対する言及がない日本メディアのインタビューはよく受けてくれて、私も何度か彼にインタビューをした。彼は物静かにものを言う方だが、とても達弁家でもある。お酒はあまり飲めないが、お酒を飲む雰囲気は好きだと話していた。基本的に人が好きで楽しませようとする方だった」(土田真樹さん)。
2012年、『嘆きのピエタ』で世界3大映画祭のグランプリを受賞すると、冷たかった韓国内の評価も徐々に変わってきた。彼の名前には「巨匠」という修飾語さえつき始めた。しかし、「#MeToo」論争をきっかけに、キム・ギドクは「巨匠」から「破廉恥漢」へと墜落してしまったのだ。
2017年、映画『メビウス』にキャスティングされた女優のAさんはキム・ギドク監督を暴行や強要、強制わいせつ致傷などの容疑で告発した。彼女は2013年の映画出演当時、キム監督から、「演技指導という名目で、頬を殴られたり、事前協議が行われていないベッドシーンを強要された」と暴露した。ただ、韓国裁判所は暴行の疑いだけを認め、キム監督に罰金500万ウォン(約48万円)を言い渡した。