甲斐野央投手が帰ってきた。
5月29日、ウエスタン・広島戦に登板。2軍だけど、公式戦に投げるのは実に2020年7月25日以来だった。無観客試合となっているタマスタ筑後のスタンドからファンの声援を受けることは出来なかったが、ナインたちから「ひろし~」「甲斐野さーん」と鼓舞されてマウンドへ上がった。
3番手として5回の1イニングを投げて、3者連続三振。最速158キロをマーク。
「正直、力みすぎたところもありましたが、取り組んできたことが少しずつ形になって、投げた感覚もよかったので嬉しいです。(158キロは)出すぎです(笑)」
清々しい表情、語り口調が充実感を物語っていた。取材をしていて、こちらも本当に嬉しくなった。
決して順調ではなかったリハビリ生活
そんな甲斐野投手の1軍での登板は2019年日本シリーズ第4戦まで遡る。まだ2軍、いや、ようやくたどり着いた2軍戦のマウンドだった。というのも、ここに至るまで、甲斐野投手は一進一退を繰り返す長いリハビリ生活を送ってきたのだから。
2018年ドラフト1位でホークスに加わった甲斐野投手はルーキーながらフル回転。1軍登板65試合は2019年シーズンのチームトップの登板数だった。しかも、新人投手としてプロ初登板から13試合連続無失点の日本記録を樹立(現在は広島・栗林良吏投手が更新)し、新人王候補にも名を連ねた。
さらに11月に開催されたプレミア12ではルーキーで唯一日本代表に招集されると、勝利の方程式を任され、日本中の野球ファンにもその名を知らしめた。
マウンド上ではたくましく、マウンドを下りると人懐っこいキャラクターで、選手たちからはもちろん、ファン、報道陣など誰からも愛される性格。すぐにチームに欠かせない存在となった。
しかし、フル回転の代償は大きかった。翌年春季キャンプ中に右肘内側側副靱帯の一部損傷と診断されてリハビリ組へ。この年は前述の2軍公式戦1イニングのみの登板に終わり、その後も一進一退のリハビリ生活が続いた。そして、12月に右肘の手術を受けた。
今年4月に術後初のシート打撃に登板し、5月8日に3軍戦でおよそ10ヶ月ぶりの実戦登板を経て、ようやく2軍公式戦登板にたどり着いた。決して順調ではないリハビリ生活だった。
どんな時も明るい甲斐野投手の人柄
ドラフト指名後からここまで甲斐野投手を取材してきて、幾度となく「私は甲斐野になりたい」と思ってきた。1年目の活躍も然ることながら、コミュ力も高いし、愛嬌満点だし、球速いし……。どんな時も明るい甲斐野投手の人柄に憧れていた。リハビリ生活が始まった頃も、苦しいはずなのにいつも笑顔で挨拶をしてくれた。他の選手のインタビュー中に茶々を入れに来て、いたずらっぽく笑っていた。思うように野球が出来ないもどかしさがあるはずなのに、周囲を明るくする力を持っていて、取材に行くたびにそんな甲斐野投手に感動していた。
ところが、リハビリ期間も長くなると、いつしかそんな甲斐野投手からも笑顔が消えていった。挨拶で声を掛けることすら躊躇ってしまう時期があった。
無事に実戦復帰した頃、その時のことを尋ねてみると「無理はしてましたね……」と甲斐野投手は笑った。ちょっと複雑な笑顔だった。その言葉と表情にこちらも込み上げるものがあった。
「(リハビリ期間の)1年半悩みすぎて、一時は神頼みすらするようになりました。運が良ければ肘も治るんじゃないかって」
そう思って、毎朝トイレ掃除をしてみたという。日々の行動で徳を積めば、運も味方してくれるかもしれない。そうでも思わないとやってられないほど、落ちてしまっていたのだ。
そんな時だった。
「僕のケツに火をつけてくれた」
甲斐野投手の救世主となったのはホークスのエース、千賀滉大投手だった。