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苦い思い出の数々が背番号「0」を作り出してきた

 そんな時にある格言を教えてくれたのは先輩選手を通じて知り合ったビジネスマンだった。「人間万事塞翁が馬」という言葉が折れそうになる心を支え続けてくれた。

「大事にしている言葉です。プロ野球はどうしても成績で一喜一憂したり、ケガをして落ち込んだりするけど、でも長い目で見ることも大事だと考えるようになりました。不幸と思ったことが実は幸せにつながっていたりする。不幸をただ単に嘆いて終わらせるのではなく、そこから這い上がることで成長できることもあるはずだと考えるようになりました」

 食事を共にした際に聞いたその言葉が荻野の胸にスッと入ってきた。それからは様々な予期せぬ出来事も前向きに捉えられるようになった。

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「もちろん怪我をしないに越したことはなかったとは思います。でも怪我をしたからプレーが出来る幸せを誰よりも自分は知っているし、野球選手である一瞬をしっかりと噛みしめながら生活できるようになった。怪我をしたから出会えた人も沢山いた。体のことなど分かった事もたくさんある。今の自分があるのは沢山の挫折のおかげだと思っています」

 怪我に見舞われてきたここまでの野球人生を荻野はそのように振り返る。戦線離脱するたびに味わった辛さ。そして悔しさを噛みしめながら過ごしたリハビリの日々。トヨタ時代から思い入れのある背番号「4」から怪我がゼロになるという想いも込めて2017年から「0」に変更した。そして交流戦で無念の戦線離脱をしたルーキーイヤーから11年が過ぎた。荻野は今もなおレギュラーを張っている。マリーンズの切り込み隊長といえば荻野。1番センターに定着している。誰よりも入念に体と向き合い、メンテナンスを行い、早めに球場入りをしてストレッチを繰り返す。そしてその成果を試合で出す。

 雨予報の6月4日の横浜スタジアム。三塁側ベンチで入念に雨の勢い、風の流れをチェックしていた。それもすべてベストプレーを行うため。この試合も3安打猛打賞。ここまでの悔しさ、悲しさが糧となり今につながっている。気が付けば1年目から11年連続で二ケタ盗塁を記録し200盗塁の大台をはるかに超えた。「人間万事塞翁が馬」。1年目、勢いに乗り、絶好調の中で姿を消した。手にするはずだった新人王のタイトルもスルリと消えた(この年の新人王は日本ハム榊原)。それでも、だからこそ今がある。苦い思い出の数々が背番号「0」を作り出してきた。プロ12年目で今年36歳。20代の選手には負けない力強さがある。

 荻野はルーキーイヤー、交流戦が始まる前日に東京ドームホテルで行われたオフィシャル記者会見に参加をしている。会見に参加をしたのは各球団の顔ともいえる選手たち。巨人東野、西武涌井、ヤクルト青木、オリックス金子、横浜内川(いずれも所属は当時)と共に新人が異例の形で会見に招待された。司会者からボードに抱負を書くように求められると「足で魅せる」と堂々、書いた。そんな荻野は今もなお足で魅せ続けている。紆余曲折な時期があったからこそ、脂が乗り続けているように若い。

梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)

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