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「たくさんの挫折のおかげ」35歳のロッテ・荻野貴司が今も“若い”理由

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/06/10

 2010年、千葉ロッテマリーンズでは一人のルーキーが躍動していた。当時の背番号は「4」。トヨタ自動車からドラフト1位で入団をした荻野貴司外野手だ。あれから月日は流れ、若者は35歳となり、ベテランと呼ばれるようになった。

荻野貴司 ©千葉ロッテマリーンズ

「懐かしいですね。でも自分の中では無我夢中でなにも覚えていない。それが正直なところです」

 6月4日の交流戦。横浜スタジアムの三塁側ベンチで荻野はニヤリと笑った。

怪我に見舞われてきたここまでの野球人生

 荻野が新人だったあの年、交流戦は今の3連戦と違い、ホーム&アウェーでそれぞれ2試合ずつ。1カード4試合だった。この年の交流戦、千葉ロッテマリーンズにとっての最初の対戦相手が横浜スタジアムでの横浜ベイスターズ戦。荻野は2試合ともスタメン出場し合わせて9打数2安打を放つ。盗塁は一つ。これがなんとシーズン41試合目で22個目の盗塁だった。恐るべき快足新人の出現。誰もが、もはや新人王は決まりだと思っていた。

 好事魔多し。しかし、荻野はそれから6試合後の本拠地に戻ってのヤクルト戦で不運に見舞われる。5月21日、18:15試合開始のナイトゲーム。荻野は2番中堅でスタメン出場。初回に四球で出塁をするとすかさず二盗で25個目の盗塁を記録する。しかしこの盗塁で足に違和感を覚えた。それでもさらに果敢に向かっていった。三盗を試みて失敗。足には違和感があったが躊躇せずに次の塁を狙っていった。

「あの時はガムシャラですから。新人ですからね。足に変な感じはありましたけど、走れると思ったので走りました」と荻野。

 足に違和感があったものの、この試合、荻野はフル出場を果たしている。4回には中前打。6回にも中前打を放った。4打数2安打とチームの勝利に貢献。しかし足の痛みは引かず、試合後に行った病院での診断の結果は右足半月板損傷。結局、このシーズン、一軍に戻ることなく1年を終えることになる。

 46試合に出場して打率.326、1本塁打、17打点、25盗塁。開幕から強烈な輝きを放ち続けたルーキーは突如、姿を消した。交流戦で楽しみにしていたのは同じくトヨタ自動車からドラフト1位でヤクルトに入団をした中澤雅人投手(現ヤクルト二軍サブマネージャー兼広報)との対戦。無念の一軍登録抹消となった5月22日のヤクルト戦の予告先発はその中澤だった。プロ1年目の交流戦。荻野にとっては苦い想いと共に終わった。

 荻野はその後も数々の不運に直面した。2年目の2011年には右膝の軟骨を痛めた。2013年には右足を肉離れ。2014年には左肩を脱臼した。2015年には左足を肉離れ。2016年も脇腹を肉離れするなど戦線を離脱した。2018年は初のオールスター出場を目前に控えた7月に右手首に投球を受け骨折。毎年のように故障して離脱。そのたびに落ち込んだ。「なぜ自分だけがこんなに怪我に見舞われるのか」と悩んだ。