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「外の世界に出て、力士がいかに恵まれていたのかわかりました」 あの朝青龍も驚いた元幕下力士“世界的ブレイク”の軌跡

田代良徳さんインタビュー#2

2021/05/09

 田代良徳は元お相撲さんである。

 玉ノ井部屋に所属し、しこ名は東桜山。幕下7枚目まで番付を上げたが、関取にはなれなかった。元大関・栃東(現玉ノ井親方)の付け人を長く務め、制限時間いっぱいで栃東が花道の奥を見遣ると、そこにはいつも田代の姿があった。

 2007年の秋場所で引退。その後は紆余曲折を経て、インドや中国の人気映画に俳優として抜擢されるなど、その活躍の場を広げてきた。そんな彼が土俵に残してきたある後悔とは――?(全2回の2回目/#1を読む)

 

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初土俵の同期には、あの名物横綱も!

 足立区のスーパーに始まり、インドや中国にまで拡大した田代良徳の活躍は昨年、バラエティー番組『激レアさんを連れてきた。』でも【第二の人生で大ブレイクしてる人】として紹介された。

 番組が放送されるとすぐに田代の携帯にメッセージが届いた。同じ1999年初場所で初土俵を踏んだあの横綱からだった。

朝青龍「大ブレイクしているの?」

田代「大ブレイクしてないですよ😂」

田代「映画に2本出たくらいです。」

朝青龍「凄い」

 本心か、ちょっとした冷やかしか、文字だけでは伝わりきらない部分があるとはいえ、あの朝青龍に凄いと言わしめた。少なくとも現役時代にはあり得なかったことだ。あの頃は田代が朝青龍のことを凄いと仰ぎ見るばかりだったのだから。

実際に朝青龍から届いたメッセージ

元々は関取を期待される有望株だった

「いつから相撲で負けても悔しくなくなったんだろう」

 最近、田代は自分の現役時代の映像を見返したという。

 明大時代には学生横綱の琴光喜から電車道で白星を挙げるなど、角界入り当初は関取となることが期待される有望株だった。序ノ口からとんとん拍子に出世し、プロ2年目だった2000年の秋場所では、初めて十両の座に手が届く幕下15枚目まで番付を上げた。ところが、この場所は1勝6敗と大きく負け越しに終わった。久しぶりに見た映像の中ではその頃の自分がインタビューに答えていた。

《今までは負けて当たり前と思って戦ってきたけど、このあたりの番付になると負けて当たり前ではなくて必死に勝たなくちゃいけない。負けて元々の精神では通用しないんです》

 俺、そんなこと言ってたんだな。田代自身も忘れていた記憶だった。