「俺もいつかは」と思っていたはずなのに…
十両の座をかけた幕下上位の争いは生きるか死ぬかの鉄火場だ。十両になれればそれまでとは違って毎月、給料がもらえる。ほとんどの部屋では大部屋暮らしから、個室に移ることもできる。ある意味、賜杯をかけた争い以上に熾烈である。田代も「何がなんでも、ぶん殴ってでも勝たなきゃいけないぐらいの場所」と頭で理解はしていた。
だが、性格的なものなのか、それが力士としての限界であったのか、田代はそこで知らず知らずのうちに尻込みしてしまった。石にかじりついてでもと勝利に執着することができず、もう少し厳しい言い方をすれば、怖気づいたのかもしれない。
「2年目のあの時点で分かっていたはずなのに、しばらくすると『まあ、しゃあねえな。今場所は負けちゃったよ』って負けを肯定している自分がいたんですよ。自分が傷つかないように守ろうとしたのか何なのか。どうして脱線しちゃったのかなあ。
同い年の琴光喜や高見盛、栃東。あとは朝青龍も、昔から一緒に相撲を取ってきた人たちがどんどん向こう側に行ってしまって、田代も早く上に来い! みたいな状況だったんです。俺もいつか行けるかなとは思っていたけど、もう途中でそういう精神になっちゃったから……。それも結果論ではあるんですけど」
力士として活躍するために必要だった「覚悟」
例えば、8歳年下の琴奨菊が取組で敗れて支度部屋の風呂場で泣いているのを目にする。その涙に共感する思い以上に「熱いな。若いな」と冷めた目で見てしまっている自分がいる。
「その時点で頑張っているやつを馬鹿にしているような感じになっているじゃないですか。本来はそうなったらもう引退しなきゃいけないんですよね」
長く付け人を務めた同部屋の栃東は、明大中野中・高の同級生でもあった。高校在学中に父が師匠の玉ノ井部屋に入門した栃東は「俺には帰る家がなくなった」と言っていた。もし「家」を持ちたければ、関取となって部屋での共同生活から抜け出すしかない。そうした厳しさが彼らを番付の高みへと押し上げていったのだ。