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2021/05/09

今も強く残る朝青龍の強烈な記憶

 中でも田代に強烈な印象を残したのは、やはり横綱に昇り詰めた朝青龍である。

朝青龍は25回も幕内最高優勝を果たした ©JMPA

「朝青龍は晩年は稽古をしなくなったけど、十両に上がる前とかはとんでもない稽古をしてるんですよ。周りが止めても申し合いやぶつかり稽古を止めないぐらい。(新弟子が通う)相撲教習所でも俺らがハアハア言いながら最後の四股を踏んでるのに、朝青龍はヨイショ! ヨイショ! って吠えながら、もっとやらせてくれよ! みたいな雰囲気だったんです。しかもそれを苦しいんじゃなくて楽しんでやっていた。ドラゴンボールの孫悟空みたいなもので『もっと強いヤツいねえのか』『俺がぶん投げてやるよ』って。

 あれだけやらないと横綱になれない、あれだけやったから横綱になれたんでしょうけど、俺らにはそういう必死さはなくて、ただついていくのに必死でしたね。モノが違うのもあるだろうし、あれだけの稽古をできる気持ちも持っていなかった」

 朝青龍ほどとは言わなくても、もっとできたのではないか。現役時代の自分を思い返すと、どうしてもそんな思いが浮かんでくるのだった。

 

「SNS力士」の先駆けだった田代

 2005年には他の部屋に先駆けて玉ノ井部屋のブログを開設し、いまのSNSに通じるような力士の親しみやすい日常的な一面を積極的に発信して人気を博した。そのアイデアを練って、手がけていたのが田代だった。

 大学生の時、「どうせプロに行くんだからスーツはいらないだろう」と両親から成人のお祝いにもらったのがノートパソコン。入門時も数少ない荷物の中にそれを持参した。入門後も独学でさまざまなスキルを身につけていき、おかげで現在ウェブサイト制作の会社まで経営するようになっている。

「でも今になって思えば、それも出世できない原因でしたよね。相撲に一直線じゃなかった。外の世界に出てみると、相撲界にいたことがどれだけ恵まれていたか分かるんです。甘えていた自分にも、楽しい方に流されていたことにも気づいた。ちゃんとやっていれば自分が横綱になれたとかではなくて、そもそも出し切っていないことに気づいてしまった。だから、後悔しましたね。歯痒いというか、『もっと頑張れよ、お前』って」

 怪我で満身創痍だった引退直後こそ、やり残したことはないと感じていたが、時間が経つにつれて「俺は燃え尽きなかったんだ」と気づいてしまった。