夫婦別姓の実現のために離婚をし、年内までに事実婚へ切り替えるというモデルの牧野紗弥さん。「もともとは保守的だった」と語る牧野さんは、どのようにして自分らしい「家族のかたち」にたどりついたのか?(全2回の2回目/#1を読む)

牧野紗弥さん

「男は仕事、女は家事・育児」以外の生き方を知らなかった

――夫婦別姓に向けて準備を進めている牧野さんご夫婦ですが、それまでのお二人は「男は仕事、女は家」のような保守的な考え方だったのでしょうか。

牧野紗弥さん(以降、牧野) 2年前までは、お互いどこかで「稼いでくるのが夫の仕事で、家事・育児は妻の仕事」と、無意識のうちに男は男らしく、女は女らしくというジェンダーバイアスに縛られていたと思います。

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 保守的というより、それ以外の生き方、スタイルを知らなかっただけでした。夫は男兄弟の中で育ち、身の回りのことは全部お母さんがやってくれていたのかもしれません。義母は専業主婦だったという違いもあります。

 でも私たちの場合は子どもが3人いる共働き夫婦で、どちらの両親にも頼れない東京で暮らしている。今のライフスタイルを維持するには、自分たちらしい家族のかたちを一から作り上げる必要があったんです。

 

実家は派手婚が多い名古屋

――牧野さんの家はどんな家庭でしたか。

牧野 名古屋の実家は牧野家の本家なのですが、母はその長男の嫁という立場で、義理の両親と同居していました。家事も育児もすべてひとりでこなし、すごく気を張っていたのではないかと思います。

 それゆえか、私にも「嫁」としての対応を求めることが少なくありません。たとえば帰省の時には、「あなたは嫁いだ人間なんだから、向こうの実家に先へ帰りなさい」。結婚してもお母さんの子どもであることに変わりはないわけで、寂しい気持ちになりました。

――特に名古屋は「嫁入り」に対して並々ならぬパワーを注ぐ文化があるそうですね。

牧野 嫁入り道具はトラック一台分、「娘三人持てば身代潰す」と言われるような派手婚が多いんです。私の友人も、結婚の時には「今からお嫁に行きまーす!」と、家の屋根から近所の人に向けてお菓子を撒いていました。花嫁の髪型「文金高島田」が崩れないよう、天井が開く花嫁専用タクシーがあったり、引き出物の中身で噂が立つなんてことも。それだけ「結婚」に対して思い入れが強い地域なんだと思います。

 今はだいぶ変わってきているとは思いますが、母の時代には「嫁入り文化」がまだまだ根強かったでしょうから、きっと「嫁」として大変なこともあったと思います。