PRISMのデビューコンサートは駅まで続く長蛇の列
デビュー前のPRISMは、エリック・クラプトンの日本公演の前座に抜擢され全国をツアーして回る。その時の演奏が凄まじく、メイン・アクトを食うほどの勢いだったことから、クラプトンのマネージャーから、曲を減らせとか音量を下げろ、といったクレームを受けたとか。このクラプトンとのツアーで全国のギター少年たちから熱い支持を得たことから、77年に発売されたPRISMのデビュー・アルバム『PRISM』は、発売と同時に爆発的なセールスを記録した。
東京・目黒の杉野講堂でおこなわれたお披露目コンサートには長蛇の列ができ、その列が駅まで続いたというエピソードが残っている。当時の和田は、まだ二十歳そこそこの若者であった。
その後もPRISMの大躍進は続いた。同時期に日本でも、ザ・スクェア、カシオペア、スペクトラム、ネイティブ・サンといったフュージョン・グループが生まれている。その中で、もっともグループのカラーが明確で、ギター・バンドならではの持ち味を発揮していたのが、和田アキラ率いるPRISMであった。
和田アキラのギターの魅力は、何と言っても正確無比でテクニックの塊のような演奏。指先の素早さでは誰にも負けなかったと思う。こう書くと、精密な機械のような演奏を思い浮かべるかもしれないのだが、その超絶技巧の中に人間らしい鳴きのフレーズを交えてくるのが特徴。ともかくメロディを歌わせるのが上手く、感情とギターとが一体化した見事な演奏を聞かせてくれた。このことが和田の人気の秘密でもあったのだ。
「全部いいよ、だって僕が弾いてるんだもの」
77年のデビューから病に倒れる寸前まで、40年以上に渡りPRISMを率いて活動を続けた。PRISMは編集盤を含めて30枚以上のアルバムを残し、和田アキラ自身としても10枚のソロ・アルバムを録音した。演奏活動はこれだけでなく、日本の音楽界の鬼才・深町純と組んだKEEP、聖飢魔IIの準構成員であったレクター・H伯爵(石黒彰)らとのW.I.N.S、キーボーディストでSF作家でもある難波弘之とのExhiVisionなど、その行動は多岐に渡っていた。
日本が誇るレジェンド・ギタリストとして、絶大なる名声を得た和田アキラなのだが、インタビューなどでは実に飄々としている。2014年の春だったと思う、難波弘之と組んでいたExhiVisionでツアーを回っていた最中に、楽屋で話を聞いたことがある。
新作の中でどの曲が一番気に入っているかと聞くと、「全部いいよ、だって僕が弾いてるんだもの」とはにかみながら答えてくれた。そのシャイさと自信とが入り交じった笑顔が、とても印象的だったのを覚えている。影響を受けた音楽をたずねると「ロック。ロック大好きだからさ」と、実にざっくばらん。この豪快な受け答えが、職人ギタリストたる由縁なのだろう。話がギター本体のことに急に目が輝きだし饒舌になる。いつまでたっても、永遠のギター少年なのだ。
今頃天国で村上“ポンタ”秀一とセッションを繰り返しているだろうか。その屈託のない笑顔が、目の前に浮かんでくるようだ。