「タレント発掘の場」としてのテレビ番組の先駆け
『スター誕生!』では、審査会場の客席にいる素人たちをふと思いついて舞台に上げたところ、そこでのやりとりが人気を呼び、やがて「欽ちゃんと遊ぼう」という1コーナーになった。舞台に素人を上げることには当初、審査員が怒って席を立つということもあったようだ。だが、審査委員長だった作詞家の阿久悠はしばらく経って、「欽ちゃんはすごいねえ、負けたよ。視聴率も取れて立派だ」と認めてくれたという(※4)。ちなみにこのときの素人からは、のちに『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のワルオ役でブレイクした西山浩司などが輩出された。萩本にとって『スタ誕』は、歌手だけでなくタレントの発掘の場でもあったのだ。
今年2月に萩本が降板を宣言して注目された『全日本仮装大賞』も、もともとは大晦日の紅白歌合戦にぶつけたコント55号の番組が失敗に終わり、萩本が《紅白は芸能人が大勢来ているのに、こっちは二人。すでに負けているよ》、《だからもう、有名人に対抗するには素人の人しかいないんじゃないの?》と言ったことから生まれたという(※5)。1979年の大晦日に番組が始まると、プロであるテレビ局も作家も思いつかないような仮装が集まり、萩本とスタッフを驚かせた。
このほか、『欽ドン!』では萩本自ら街中へ出て、一般の人たちに声をかけてはタイトルコールをしてもらい、言い間違えたりするさまをカメラに収めた。これなど、のちの『NG大賞』的な番組や、明石家さんまの番組での「ご長寿早押しクイズ」のルーツかと思わせる。あるいはロケに出て素人と会い、そこでのやりとりから笑いを引き出すという手法は、笑福亭鶴瓶の『鶴瓶の家族に乾杯』などに脈々と受け継がれている。
「スベリ芸」の走りも欽ちゃんから?
『欽ドン!』ではまた、萩本と歌手の前川清とのやりとりも人気を集める。前川はそのなかでしばしば間をはずし、固まったり黙り込んだりして、それがかえって笑いを呼んだ。これは現在の「スベリ芸」の走りだという指摘もある。その後、萩本の番組からは斎藤清六という、やることなすことことごとくスベりながらも、その愛嬌から人気を集めるタレントも登場した。
一方で萩本は、スタッフや出演者にはプロであることを求めた。たとえば、自ら企画・出演したクイズ番組『ぴったしカン・カン』では、解答者のコメディアンに対し徹底的に芸を求めた。彼いわく《解答にもテクニックがあるんだから。少しずつ正解に近づいて、お客さんをワクワクさせといてガクッとはずしちゃうとか、逆にいきなり遠くまで飛んでっちゃうとか。そういうことやってくれなきゃ、お客さんもテレビ見てて快感ないだろ?》(※6)。芸人なら、いきなり正解を出さずに必ずボケるというのは、いまでもお笑いの世界でお約束のようになっている。