タレントの萩本欽一がきょう5月7日、80歳の誕生日を迎えた。「欽ちゃん」の愛称で親しまれる萩本は、東京・浅草のストリップ劇場での下積み時代を経て、1966年に坂上二郎と結成した「コント55号」で人気者となった。
70年代に入ると個人での活動を開始し、オーディション番組『スター誕生!』などで司会を務める一方、自ら企画した『欽ちゃんのドンとやってみよう!』『欽ちゃんのどこまでやるの!』(それぞれ『欽ドン!』『欽どこ』と略)などの冠番組をヒットさせ、テレビ界の頂点に立つ。80年代前半にはレギュラー番組の週間視聴率の合計が100%に達し、「視聴率100%男」の異名をとった。
現在のテレビ界にも繋がる「素人いじり」の元祖
萩本はこれらの番組でさまざまな試みを行ない、現在のテレビのバラエティ番組の基礎を築いた。いまから11年前には、現在のバラエティの“諸悪の根源”は萩本にあるとの仮説から、その功罪を本人出席のもと裁判形式で検証した『悪いのはみんな萩本欽一である』という番組も放送されている(ディレクターを務めたのは当時テレビマンユニオンに在籍した映画監督の是枝裕和)。そこで紹介されていたように、彼の番組で生まれ、その後、テレビの世界に広がって発展を遂げたものは思いのほか多い。いわゆる「素人いじり」はその代表だ。
コントの基本は、話のきっかけとなる「ふり」と、それに対する相手の「こなし」だという。コント55号では設定だけ決めて、萩本がアドリブで繰り出す無茶な「ふり」に坂上が戸惑いながらもリアクションするさまが笑いを誘った。この坂上の役割を、個人で活動を始めてからの萩本の番組では素人が担うことになる。これについて萩本は坂上の没後、次のように語っている。
素人いじりは「苦肉の策」でもあった…?
《カメラの前で、あの人と同じくらい自然に振る舞えるのは、そもそも演じることのできない素人くらいなのね。だから、僕が『欽ドン!』('75年)をはじめ、素人と作る番組を大事にしてきた理由の一つは、二郎さんと同じ芸のできる相方を探したら10年も20年もかかるけど、素人とはどんどんテレビに合った笑いが作れたから》(※1)
萩本が素人を引っ張り出したのは、もともと俳優を相手にするとあがってしまう性分ゆえの苦肉の策だったとの見方もある(※2)。さらにそれ以前、浅草での修業時代には、ストリップの幕間にコントを演じても相手役とセリフをかみ合わせることができず、無意識のうちに客いじりをしてしまっていたという(※3)。後年の素人いじりはこうした下地から培われたものなのかもしれない。