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 スタッフに対しても、ある程度視聴率を取ってもそれに甘んじることを許さなかった。たとえば『欽どこ』は、スタート当初は低空飛行が続き、ワンクール(3ヵ月)かかってようやく視聴率が20%に達した。このとき、番組プロデューサーの皇(すめらぎ)達也はうれしくてすぐ萩本のところに飛んで行って報告したが、「いや、30%いかなきゃ」と冷静に言われたという。それというのも、《タレントで取れる数字は20%まで。スタッフ全員がやる気になったら30%に届く》というのが萩本の持論だったからだ(※7)。

お笑い芸人の「地位を上げたい」という思い

 萩本がこれほどまでに笑いに執念を燃やしたのは、それまで社会的に低く見られていたコメディアン、ひいてはお笑い自体の地位を上げたかったからでもある。かつてバラエティといえば夜8時までに始まるのが常識だったが、『欽どこ』は夜9時スタートだった。そこにも、《笑いが日本を制するには、大人が観る9時台で成功しなければ》という萩本のこだわりが反映されていた(※7)。結局、9時台のバラエティにはスポンサーがつかないということで、『欽どこ』はホームドラマ仕立てにはなったが、萩本はむしろチャンスだと思ってのぞみ、見事に成功させる。

©文藝春秋

 70年代以前、テレビの主役はドラマであり歌番組だった。それを萩本は、自分の番組のなかにドラマや歌番組の要素を取り込みながら、バラエティをテレビの主役へと押し上げていった。

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バラエティからのヒット曲も嚆矢は萩本の存在

 細川たかしの「北酒場」が大ヒットしたのも、『欽どこ』にレギュラー出演していた細川と萩本のやりとりがきっかけだという。このとき萩本は、歌を全部聞かせてしまうからヒットしないんじゃないかと気づき、試しに「北の~」という歌の出だしの前で何度も音楽を止めてみた。《人間、急に止められると、先を聞きたくなるじゃない》という萩本の思惑は的中し、ヒットへとつながった(※8)。

「北酒場」がヒットした細川たかし ©文藝春秋

『欽どこ』ではほかにも、番組内のホームドラマに登場する三つ子姉妹(のぞみ・かなえ・たまえ)によって「わらべ」というユニットが結成され、「めだかの兄妹」などのヒット曲が生まれた。また、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』でも「イモ欽トリオ」が結成され、彼らの歌う「ハイスクールララバイ」がヒットしている。これら萩本の番組発の企画ユニットを嚆矢として、その後もバラエティ番組からは、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』のポケットビスケッツやブラックビスケッツ、『とんねるずのみなさんのおかげでした』の野猿、『クイズ!ヘキサゴンⅡ』の羞恥心などいくつもの人気ユニットが生まれた。