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「犬に嚙まれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは

『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』より #2

2021/05/22
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たくさんの被害者たちと、どうしようもない現実

 あのとき言えなかったこと、あのときできなかったことを語る私の行為は、復讐なのだろうか。

 それは違う。

 被害を訴えられず、加害者が罰を受けず、被害者が一人沈黙の底で苦しんでいる現実。

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 それは私だけの身に起こったことではない。

 父親からの性被害を教師に伝えても、何も対応されず無視された女性。

 親から離れて避難した先の児童養護施設で性被害を受けた子どもたち。

 勇気を振り絞って訴えたけれど、今の法律では裁判にすることはできないと言われてしまった、たくさんの被害者たち。

 日本社会は私に正義を示してはくれなかった。

 このどうしようもない現実を携えて私は話す。

 どうすることもできなかった13歳の私と共に。

 今も声を上げられず苦しんでいる子どもたち、多くの大人たちと共に。

 声を上げたけれど、無視された人々と共に。

写真はイメージ ©️iStock.com

「性被害を知られることが、被害者の不利益になる」という社会

 加害者は社会から出てくるものだ。

 誰もみな、生まれたときから性犯罪・性暴力加害者なわけではない。

 彼らは、どのようにして同意のない性的言動を行うということを知ったのだろう。

 どのようにして歪んだ認知を身につけたのだろう。「レイプされても減るもんじゃない」「『嫌』という言葉は、本当は『して』と言っていることなんだ」「そんなに不用心だったら、ほかのやつらにやられるから俺がやっても構わない」「気をつけていなかった被害者が悪い」「子どもはすぐ忘れるからわからない」――。

 それは日本に暮らす人々が言っていることではないのか。

「犬に嚙まれたと思って忘れなさい」

 と言われたことは私にもある。

 レイプ場面を写真や動画に撮られ、「ばらまかれたくなかったら、これからも言うことを聞け」という加害者の脅しに脅えている被害者もいる。

 性被害を知られることが、被害者の不利益になる。加害者はそれを見越して「誰にも言うな」「自分の言うことを聞け」と脅してくる。そんな加害者の脅しが力を持つのは、被害を受けた人に後ろ指をさす社会の存在があるからだ。