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「犬に嚙まれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは

『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』より #2

2021/05/22
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言葉は喉の奥に押し込まれたようになかなか出てこなかった

 研修室はたくさんの人でいっぱいだった。

 私は震えながら壇上に立った。

 挨拶をし、こう伝える。

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「私はこれから自分の被害についてお話しします。しんどいなと思う方は会場を出て休んでいても大丈夫です。自分の心と身体を大切に聞いてください」

 しばらくの沈黙。

写真はイメージ ©️iStock.com

 言うことは全て原稿に書いてあった。

 原稿に書いてある言葉、その言葉を言えばいいだけだった。

 でも、言葉は喉の奥に押し込まれたようになかなか出てこなかった。

 手がわなわなと震える中、ようやく言葉を絞り出した。

「私は父親からの性被害を受けた経験があります」

 言えたのはその一言だけ、本当に一言だけしか、言えなかった。

 その言葉を言うだけで声は震え、目は泳ぎ、激しく動揺していた。

 あのときの悲しく、恐ろしかった経験が思い出される。

 でも、私は私の身に起こったことを明らかにすることができた。

 スピークアウトするということ。

 話し、告発するということ。

 それは社会に自分の傷を開くということであり、あの夜に起こった出来事を人々に見せるということなのだ。

たった一言でも大きな成功体験に

 たった一言だけだったけれど、私にとっては大きな前進だった。

 そのあとは必死に、原稿に書いてある統計や医療的な知識の伝達だけを読んだ。

 会場の人はみな耳を傾けてくれ、終わったあとは大きな拍手をしてくれた。

 スタッフが見守ってくれたこと、友人たちが駆けつけてくれたこと、参加者が好意的な雰囲気の中で聞いてくれたこと。その後私が語る中で、この初めての公の場での発言は大きな成功体験として刻まれている。

 私が「自分のことを話そうと思う」と言ったときに、スタッフはずいぶん心配して配慮してくれた。それなのに、性暴力被害について発言したのが一言だったのには、拍子抜けしたと思う。でも、そのあとのミーティングで「本当に話せたのは素晴らしいと思う」と支持してくれた。

 家に帰ると、母が親友と待っていてくれた。終わったことを報告し、母は「無事に終わってよかったね」と喜んでくれた。母にはこの4年後、熊本県で行われた講演会で私の話を聞いてもらうことができた。

 動揺せずに話すことが課題として残ったけれど、この講演を皮切りに、それから少しずつ講演に呼ばれるようになり、語れる内容も少しずつ増えていった。