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「犬に嚙まれたと思って忘れなさい」性暴力被害を受けた女性が感じ続けた“どうしようもない現実”とは

『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』より #2

2021/05/22
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 性暴力は許されないことであるにもかかわらず、痴漢やセクハラの被害はいまだ相次ぐ。そうした被害を減らしていくためには、何が必要なのか。性暴力が実際にどのような被害であるのか、そして、適切な対応をするためにはどうすればいいのかを考え、知ることが一つのきっかけになりえるだろう。

 ここでは性暴力被害者支援看護師として活動する山本潤氏が、自身の受けた性暴力被害を告白した著書『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)の一部を抜粋。被害を受けていた当時から時が経ち、性暴力防止活動を行うようになった今も残り続ける深い傷から、性暴力が被害者に与える傷の深さについて考えていく。(全2回の2回目/前編を読む)

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スピークアウト

 2008年から、私はバンクーバー研修に参加した日本の支援者や看護師たちで立ち上げた「エセナ5」という団体に参加していた。「エセナ5」は性暴力被害を中心に暴力防止をテーマとして市民対象の連続講座を開催する団体だった。私はその連続講座の中の一つ、医療の講座を担当していた。

 性暴力被害者に必要な医療的支援や医療現場の状況を語る中で、心境に一つの変化が起こっていた。

 それは自分の経験を伝えたいというものだ。

 自己紹介のとき、なぜこの活動をしているかを説明する中で、「看護師だから、多くの被害者に出会ってきたから」と伝えることに、いい加減うんざりしてきていた。

 また、いつも講座で自分の被害経験と共に、DV/性暴力の深い知識を語ってくれるNPO法人レジリエンス代表の中島幸子さんの姿にも動かされていた。

 私も、本当のことを伝えたい。

 思いは日増しに高まってきて、2010年に「自分の経験を伝えようと思う」とスタッフに打ち明けた。

 被害を受け始めた13歳から23年経った、36歳の秋だった。

写真はイメージ ©️iStock.com

 少しびっくりされたけれど、スタッフからは「潤ちゃんがしたいならいいと思うよ」と励ましてもらい、講座に備えて原稿を作った。

 そのときちょうど母が東京に来ていて、

「潤の大事なときなんだから、私も行きたい」

 と言った。

「絶対に来ないで」

 と私は断った。

 母は打ちひしがれていたが、気を配る余裕は私にはなかった。

 原稿を親友にも見てもらい、研修講座当日、いよいよ会場の研修室に向かった。