性暴力で最も深刻なレイプ被害についての2014年度内閣府調査では、日本で約15人に1人(6.5%)の女性が異性から無理やりに性交された経験があるという。この数字を少ないと思うか、多いと思うか、立場によって受け取り方は違うかもしれない。
しかし、「一人でもいればそれは多すぎる」。そう意見を表明するのは自身も性暴力被害を受けた経験を持ち、現在は実名で被害者が泣き寝入りしない社会を目指した活動を続ける山本潤氏だ。
ここでは同氏が自身の体験を告白した著書『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)の一部を抜粋。性暴力が一人の人間にどのように影響を与えるのかを考える。(全2回の1回目/後編を読む)
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私の家庭で蔓延していた価値観
私が中学生のとき、父と母は居酒屋を始めた。そのころから、正規の職員として働いていた母と、仕事を転々としていた父の力関係は逆転していった。
生活する能力の高いのは母だったが、「お母さんは何も知らないんだから」「だからダメなんだよ」と口癖のように父は母に言っていた。はじめは母も反論していたが、父は全く聞きいれなかったので、次第に父に合わせるようになっていった。
「父が正しい、父が一番」というのが、私の家庭で蔓延していた価値観だった。
転職を繰り返し、何かあったらすぐに逃げてしまう問題対応能力のない父が、なぜ一番なのか、今だったら首をかしげる。
でも、父はよく「世の中の人間は、人の顔色を窺うばかりで何が本当の生き方かわかっていない。俺は何もなくても本当の生き方をしている」と、自分を誇っていた。そして自分は、人からは理解されない不遇な人間だというふうに振る舞っていた。
私は心の中では、父のことをそんな人間だとは思ってはいなかったが、彼の側につくことにしていた。父は人に順位付けする人で、家族の中のヒエラルキーでは私は最下位だったからだ。だから父につき母を馬鹿にすることで、私は家庭の中での自分の立ち位置を守っていた。
母は健全で素直な性格だったので、人を蔑むような父の言動のダメージを受けなかった。
一方、人格形成途上の私は、すぐに揺るがされたし傷つけられた。
ある日、何気なく小説で読んだ自転車乗りの話を父にしたときのことだった。その小説には、自転車に刃物を仕込んで、通りすがりの人に突き刺す通り魔のことが書かれていた。
子どもの私は、感心させようとして「自転車でそんなことをする人がいる」と父に話した。
けれども父は、「自転車乗りはそんなことはしない」「お前は馬鹿だ。何もわかっていない」と言い、私を徹底的にやっつけた。
私が泣いても許さなかった。私は悔しくてさらに泣いた。なんで、ここまで言われるのか理解できなかった。また、父がそのことを愉しんでいることも伝わってきた。
子どもながらも怒りに震え、でもどうすることもできなかった。