子どもであるということは、家庭の中で下位に位置するということだ。
少なくとも私の生まれ育った家ではそうだった。
それは、多少なりとも私に起こった出来事に影響していたことだと思う。
大人という権力者に逆らえない。それが、私が植え付けられた価値観だった。
私が13歳のとき、父は寝ている私の布団に入ってきて、私の体を触るようになった。
記憶からぶっ飛んだ“あの日”
私はその記憶を正確には思い出せない。
何月何日と特定することもできない。
それは、無言で始まり、ずっと続いた。
私は自分が何をされているのか、全く理解できなかった。
記憶がおぼつかないながらも、母の記憶と照らし合わせると13歳の春ごろに始まったとは言える。
なぜならばそれが始まってから、しばらく経って私は、
「お父さんが布団に入ってくるから寝られない」
と母に言ったからだ。
直接的に体を触られているとは言えなかった。
どうして言えなかったのだろうと、今も考える。
13歳の私にとって“それ”は、自分の意識を超えた出来事だった。だってその人は一緒に生活してきた人なのだ。笑い合ったりふざけ合ったり、プロレスごっこをしたり、それまでも一緒に寝てきたこともある人なのだ。
だけど、その人に胸やお尻を触られていることはすごく変な感じ、嫌な感じがする。
でも“それ”の何がおかしくてどう変なのか、言っていいことなのかどうかも、わからなかった。
子どもながらに、言わないほうがいいと感じていたのかもしれない。言うと何かが大きく変化することや、もしくは自分を取り巻く世界が大きく崩れてしまうことを感じていたのかもしれない。だから、お父さんが布団に入ってくるから寝られないという表現を選んだのかもしれない。
それでも、もし母に「何か嫌なことがあるのか? どこかを触られてるのか?」と聞かれたら、「そうだ」と答えられたかもしれない。
だが、13歳の私にとって「寝られない」と言うことが精いっぱいのNOという表現だった。
母は、私が「寝られない」と言っているのを額面通りに受け取って、
「潤が、眠れないと言っているでしょう。やめなさいよ」
と父に強く言った。
だからしばらくは布団には来なかった。