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「誰も助けてくれない」「自分は価値がない人間だ」13歳から父親の性被害にあっていた女性の“悲痛な告白”

『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』より #1

2021/05/22
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「わかってもらえない」ということも苦しみに

 今でも、起こった被害について思い起こして伝えようとすると、エネルギーが落ちてシャットダウンしてしまう。そのときの感覚を感じないようにすることで自分を守っているのだ。

 だから、曖昧にしか伝えられないし、そのようにしか伝えたくない。でも、それでは高い共感力と察する力のある人にしか伝わらないし、多くの人にはわかってもらえないと感じる。

 後年、これほどまでの苦痛を感じ、なおかつそれをわかってもらえないということも私を苦しめた。

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 また、ダメージを受けたことはわかっていたが、それがなぜダメージになるのか、どのようなダメージであるのか、自分の身に起こっていることなのに自分でも理解できないという理不尽さにも苦しめられた。

 自分でも訳がわからず人にも説明できない状態は、私がその出来事によっておかしくなっているのではなく、私自身が元からおかしい人なのではないかと感じさせられたからだ。周りの人から変な人として見られてしまうことを私は恐れた。

 再開したときは、思考がシャットダウンしたと同時になぜか、

(これはどこの家庭でも起こっている当たり前のこと。でも、誰も言わないようにしているだけなのだ)

 と強く思い込んだ。

 思考の飛躍。

 人間は動物と異なり、外界を認識し意志によって調整するという能力を持っている。私は変えられない現実と折り合いをつけるために自分の認知(世界のとらえ方)を変えた。

(どこの家庭でも起こっている当たり前のこと)

 そう認識せざるを得なかった理由の一つとして、私には性暴力の知識や情報が全くなかったことがある。

 学校では性教育はあったが、性暴力について教えられたことはなかった。母からは、「見知らぬ人には注意して、何かされたらお母さんに言うのよ」と言われていた。でも、母の頭の中にも、まさか実の父親が娘に性的接触をするということは全く入っていなかった。

 私は、性的なことをされているということもわからず、気がついたら7年という時間が経っていた。

愛と侵略のあいだ

 7年は長い。中学を卒業し高校に進学しても、夜には父が来る日々だった。

 仕事を終えた父が来るのは夜も遅く、母はすでに眠っていた。そして母が起きる前に、父は店に行くのだった。

 思春期も後半に入った娘と同衾しているということはかなり奇妙なことだが、すでに日常生活になっていることをおかしいと気づくことはできなかった。