私はいつも、性暴力被害支援機関のパンフレットの中によくある「助けてと伝えてください」という言葉を読むと、複雑な気持ちになる。
リアルタイムでは自分に起こっていることが異常かどうかなんて気づけない。
身体は恐怖を感じ震えているけれど、それを意識にあげていくことができない。
言葉にならないほど怖いというのはそういうことだ。
「助けて」と言えるのなら、状況を認識した上で、助けを求めていいと判断し、事実を伝えられる力を持っているということになる。
そんな力は、あのときの私からはもう失われていた。
昼間は学校に行き友達と話していても心は夜への恐怖でいっぱいで、夜になれば覚えてもいられないような出来事を日常的に体験する。
家庭という閉ざされた世界で繰り返される性暴力は、私の認知をとても歪ませてしまったと思う。
「世界は危険で、人間の半分は敵で、誰も助けてくれない」
性被害を受けていた思春期の私にとって、世界はそういうものだったのだ。
被害を受けることで「自分は価値がない人間だ」と考えてしまう
私の心には、ほかにもいろいろな変化が起きた。
例えば、被害を受けることで自分は価値がない人間だとも思った。守られる必要のある大切な存在なら、こんなことが起こるはずはないからだ。
自分が大切で、大事にしてもらえる人間だと思えなくなる。
思春期は大人になる準備をする期間だが、私の時計は13歳で止まってしまった。
私の性被害に関する記憶はほとんど欠落しているけれども、17歳くらいのある場面を覚えている。
眠っていた私は、父がのしかかってくる気配で目が覚め、びっくりして泣いてしまった。そうしたら彼はやめてくれて、そして二人で抱き合って寝たのだ。
こういう場面を振り返ると、今でも胃がよじれて頭が締め付けられるような感じがする。
このような経験をすると、安全と危険、愛と侵略の区別がつかなくなってしまう。
それは、人間と関わり合いながら生きていくための感覚が壊されるということだ。
そのため、私はそのあとも父がしたことが性暴力・性的虐待だったことを認識することがなかなかできなかったし、危険で私を大切に思っていない男性のほうに惹ひきつけられることがよくあった。
7年は長い時間だったが、私は性器を挿入されたことはなかった。
勃起した父の男根を押し付けられていたことは覚えている。願わくば、そんな状態のものは愛した人のものを知りたかった。
私にとっての性は、対等な関係で行われる探検でもなく、相手への信頼でもなく、一方的で、侵入的なものだった。
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