相続した家をどうやって活用するのか
団塊ジュニアの多くは既に自分でマンションなどをローンで買っているケースが大半だ。親の残した家に興味がないからといって放置もできない。彼らの親が残した家が首都圏であれば、迫りくる税金対策に活用も考えていかなくてはならないのが現実となってくる。
それでは、相続した親の家をどうやって活用していけばよいのだろうか。
団塊世代の多くが持っているのは郊外戸建て住宅地、いわゆるニュータウンだ。丘陵地帯を切り開き、造成して宅地に整え、分譲していった土地である。
この住宅地が今でも、転入希望者が多く、街として新陳代謝が活発であれば、それほど悩む必要はない。駅からバス便でも、売却であれば、十分可能性がでてくるし、若い家族が入れ替わりに転入してくるようなエリアであれば、一定の需要はある。
だが残念ながら国内のニュータウンで、こうした「新陳代謝」がきちんと作用している住宅地は少数だ。団塊世代の買った家の多くが、70年から80年代の分譲で、すでに30年から40年以上の時が経過し、住民は高齢化、タウン内の住宅は古く、かつては栄えた商業エリアもシャッター通りになってしまうと、借手はもちろん、買手もつかない状況となる。
値段を下げればという人がいるが、そう簡単ではない。地元の小学校や中学校が統合などで廃校となってしまうと、学校まで徒歩30分などの条件ではファミリー層はすでにNGだ。
住宅余剰の時代に
以前のように国民の多くが住宅困窮者であった時代であれば、価格に反応する需要層は見込めるのだが、これだけ住宅余剰の時代になってしまうと、無理して住宅を買い求める層を見込むことも難しい。条件を下げればというのはあくまでも潤沢な需要が存在するときだけの理屈なのである。
更地にして駐車場にすればよいとも考えがちだが、戸建て住宅地の場合、多くは個別の敷地内に自分の車を止めているので、あまり需要が見込めない。
さて困った、だ。こうした住宅地になれば、相続した家が下手をするととんでもない厄介ものになる危険性まで出てくる。
団塊世代の親が一生懸命住宅ローンを返済しながら残してくれた住宅。ところが、団塊ジュニアたちにはすでに別の家がある。従来であれば、両親が残してくれた戸建て住宅は、「財産」として、のちに続く子供たちの住居になる、賃貸用の運用資産として一族の生活を豊かにする、いざという時には換金してまとまったお金を手にできる、など本来不動産が持っていたはずの大きなメリットを何も感じることができない世の中になってきているのだ。