「使わないなら相続放棄をすればよい」とはいかない理由
どうにもならない団塊世代の親の家、このことに世の中の人たちがようやく気が付き始めている。不動産価値に対する大きな考え方の変化、それは「不動産価値革命」と呼んでもいいような大きな考え方の変化が生じつつあるのだ。
相続する不動産が、自分が利用する予定がなく、賃貸などの運用の可能性が低く、そして換金もままならない、それどころか毎年の固定資産税や都市計画税の負担から永遠に逃れられない、ということになれば相続人の多くは、「そんなもん、いらないよ」ということになるだろう。ここでよく聞かれる話に、「不動産は使わないなら相続放棄をすればよい」「不動産は市町村に寄付しちゃいましょう」といったセリフだ。
ところが世の中そううまくはできていない。相続放棄は相続人に相続する意思が全くない場合、相続発生から3か月以内に地域の家庭裁判所に申し出れば放棄することができる。だが相続を放棄する場合には、対象となるすべての相続財産に対して相続の放棄をしなければならない。都合の悪くなった不動産のみを相続の対象からなくして、現金のみをちゃっかり相続するなどということはできないのだ。
相続人には大変な「負動産」
また市町村への寄付についても、ほとんどの場合は「受け取ってもらえない」と考えていたほうがよさそうだ。歴史的、文化的な価値がある、あるいは自治体の施設として活用の可能性があるなどといった場合を除き、通常の戸建て住宅では、自治体はまず受け取ってはくれない。
市町村とて、相続人が「いらない」からと言って唯々諾々と寄付を受けては、管理不動産ばかりが増えて税収が減るだけになってしまう。相続税もなるべく現金などの換金性の高いものから徴収しようとするのが常だ。
ここで考えなくてはならないのが、相続予定の親の家が、今後どの程度の価値を持つものなのかについて十分な見通しを持つことだ。しかし、相続人のほとんどは、これまで不動産について特に知見があるわけではない。
相続を受けてから「こんなはずではなかった」と嘆いても始まらない。それが特に首都圏にある家の場合、相続人には大変な「負動産」が舞い込んでくるのだ。その可能性がもっとも大きいのが今、団塊世代を中心に所有している郊外戸建て住宅、築年数の経過した古びたマンションなのだ。親はいつか亡くなる。その後にふりかかる事象について今から考えておく必要がありそうだ。