1ページ目から読む
4/5ページ目

「精神病院に入れてやる」

 ミアがうさぎの置物や電話の受話器をスンニに投げつけたのも、モーゼスは目撃している。スンニがきょうだいと遊んでいて、ラークがちょっとしたケガをしてしまった時も、ミアはスンニに「あなたは参加しちゃダメだと言ったのに」と、スンニのせいだというように責め、「あなたは本当に言うことを聞かない。精神病院に入れてやる」と言い放った。そう聞いてスンニは怯えたが、幸い、それはミアの本気の発言ではなかった。

©iStock.com

ADVERTISEMENT

 引き取られてすぐ、スンニは「ナイル殺人事件」(1978)のロケ地エジプトに、その後には「ハリケーン」(1979)のロケ地ボラボラに連れて行かれ、学校に行くことができず、ベビーシッターに勉強を見てもらうことになった。アンドレと離婚し、マンハッタンのウエストサイドのアパートに戻ると、ミアはスンニを実際の年齢よりも2つ下の3年生として小学校に入れた。その頃から、スンニはラークと一緒に、家事の多くをやらされるようになった。一家の食料品の買い出しは2人の、弟や妹が学校に行くのを見送り、障がいを持つモーゼスにマッサージをやってあげるのはスンニの役目。ウディの妹でプロデューサーでもあるレッティ・アロンソンは、ミアの家でアジア系の少女たちが甲斐甲斐しく動き回っているのを見て、メイドだと誤解したほどだ。スンニが12歳になると、ミアがウディの家に泊まる時にはベビーシッターは雇われず、スンニとラークにその役割が押し付けられた。そのことを絶対にアンドレに言わないようにと口止めもされている。コネチカットの家では、ラークが料理をし、皿洗いと掃除はスンニとラークが2人でやった。ウディが来る日、ミアのシーツにアイロンをかけるのも、スンニだった。初潮を迎えた時にもミアは生理用品の使い方を教えてくれず、最初のブラジャーが必要になった時に買ってくれたのはベビーシッターだった。