ミアとスンニの困難
お風呂にどう入ればいいのかも、スンニは知らなかった。施設では大風呂にみんなで一緒に入っていたが、ホテルのお風呂は小さくて、勝手がわからないのだ。その頃にはさすがにミアも苛立ち、湯船におもちゃを入れながらゆっくり教えることもせず、怖がるスンニをお湯の中にぶち込んだ。ベッドで寝ることにも慣れておらず、スンニはミアのベッドの横の床で眠った。
ロンドン郊外サリーのプレヴィン家に到着してからも、ミアとスンニの困難は続いた。それが輪ゴムであれ、ガムの包み紙であれ、何か新しい物を見つけると、スンニはパンツの中に隠すのだ。それまで赤ちゃんしか養子に取ったことがなかったミアにとって、7歳になるまでまったく違う環境で育った子は、意外なことだらけで、思っていたよりずっと大変だった。英語が話せないのも、さらに苦労を多くした。覚悟していたことだが、想像していたより、覚えがずっと遅かったのだ。ブロックを使ってアルファベットを教えている時、スンニがなかなか理解しないのに痺れを切らして、ブロックを投げつけたこともあった。スンニにとっても、そんな毎日は苦痛だった。見渡す限りラッパスイセンが咲き、犬、猫、オウム、イタチなどたくさんのペットがいる、一見、絵本の世界のような、藁わら葺ぶき屋根のその家で、スンニは過去に経験したことのない恐怖と孤独を感じていた。庭の向こうに見える屋根を眺め、スンニはしばしば「あの家のどれかには、私を愛してくれる人がいるのかしら」と、虚しく思いを馳せた。
この頃、ミアとアンドレ・プレヴィン(編集部注:ミアがウディと付き合う前の1970年〜1979年まで結婚していた音楽家)の関係が悪化していたことも、雰囲気をさらに悪くした。加えて、子供たちの中にはヒエラルキーがあり、ミアはそれを隠そうともしなかった。ミアが好きなのは頭の良い子とルックスの良い子で、頭が悪いとレッテルを貼られたスンニは、対象外だったのだ。ミアの他の子供たちや、一家を長く知っているピアノの先生は、ミアは実子も養子も平等に接していたと証言しているが、スンニの次に韓国から養子としてやって来たモーゼスは、贔屓(ひいき)はあったし、中でもスンニはとりわけミアにいじめられていたと述べている。スンニは独立心が旺盛で、恐れずミアに立ち向かったからだ。