かつては「ウディの映画に出演すればオスカーを獲れる」とまで言われ、NYを象徴する文化人として名声をほしいままにしたウディ・アレン。しかし彼は、世界中に広がった#MeToo運動により1992年に告発された性的虐待疑惑(証拠不十分で不起訴)が再び問題とされ、ハリウッドから消えつつある。

 ウディの元交際相手であるミア・ファローの養女スンニはウディの現在の妻である。スンニとは一体どんな人物だったのかーー。ミアが養女スンニを引き取り、ウディとスンニが出会うまでをL.A.在住映画ジャーナリスト・猿渡由紀氏の『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)から一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/#2を読む)

スンニとミアの出会い

 スンニという名前は、生まれた時に与えられたものではない。迷子として保護された時、自分の名前を言わなかったことから、最初に連れて行かれた児童養護施設でつけられたものだ。ミアとアンドレが養子縁組をした際の書類には、誕生日として1970年10月8日と記載されているが、それも適当に選ばれた日付だ。自分の誕生日はおろか、年齢すら、この幼い少女は知らなかったのだ。

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 それでも、漠然とした記憶はあった。2018年の「ニューヨーク」誌のインタビューで、スンニは、家は貧乏で、家具もなくがらんとしており、母だけがいて、父はいなかったと述べている。庭はコンクリートのような感じで、木や植物もなく、殺伐としていた。そんな狭い空間で毎日を過ごすうちに、スンニは、「外はもっと素敵なのではないか、外にはきっと何かがある」と思うようになった。そうやって家出をしたスンニは、あてもなくソウルの街をさまよい歩いた。食べる物もなく、ゴミ箱をあさったり、見つけた石鹸を食べようとしては吐き出したこともある。見知らぬ女性に声をかけられたのは、パン屋を外から覗き込んでいる時だ。その女性は「お腹が空いているの?」と聞き、食べ物をくれたが、「名前は何、どこから来たの」と質問しても一切答えないため、女性は警察を呼び、警察はスンニを児童養護施設に連れて行った。

 ミアとアンドレがスンニの写真を見せられたのは、その直後だ。その白黒写真の女の子は、丸刈りで、唇が荒れていて、楽しそうにも、悲しそうにも見えなかった。ミアとアンドレは、韓国だけでなく、アメリカやイギリスの団体ともやりとりをして新たな養子を探していたのだが、この写真の女の子に、なぜか心を惹かれた。そして、自分たちが引き取るのはこの子だと決めたのだ。