アカデミー賞では監督賞と脚本賞など4度受賞し、映画監督として50年以上のキャリアを誇るウディ・アレン(85)。しかし彼は、世界中に広がった#MeToo運動により1992年に告発された性的虐待疑惑(証拠不十分で不起訴)が再び問題とされ、ハリウッドから消えつつある。
ウディは50歳の頃、女優ミア・ファローと交際していたにもかかわらず、ミアの養女で韓国出身のスンニの部屋に頻繁に訪れるようになった。のちに結婚することとなる2人の性的な関係はどのように始まったのかーー。L.A.在住映画ジャーナリスト・猿渡由紀氏の『ウディ・アレン追放』(文藝春秋)から一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/#1を読む)
惹かれていく気持ち
しかし、ミアは何の疑いも持たなかった。それどころか、2人が初めて一緒に外出するきっかけは、ミアが作ったのだ。心理カウンセリングが大好きなウディは、ある時、内向的に見えるスンニにもカウンセリングを受けさせるべきではないかと、ミアに言った。するとミアは、「それよりも、外に連れ出してあげてよ」と、ニックスの試合を見に行くことを提案したのである。プロバスケットボールチーム、ニューヨーク・ニックスの大ファンであるウディは、シーズンチケットを持っていたが、ミアはスポーツに関心がないため、一緒に行くことはほとんどなかった。それで、「あなたはいつも一緒に行ってくれる人を探しているじゃない?」と言ったのだ。
誘ってみると、スンニはすぐに承諾した。そして、その後、2人は何度となく一緒に試合観戦に出かけるようになる。1990年1月には、ウディが、自分の恋人の娘である高校生と並んで試合を観戦する写真が初めてメディアに出回った。そうやって少しずつ一緒に時間を過ごしていくうちに、ウディは、スンニが、ミアの言うような「頭が空っぽの、遅れた子」ではないと気づいていくのだ(多少の学習障害があるのはスンニ本人も認めるところで、高校卒業まで特別な家庭教師についてもらって勉強している)。それどころか、賢く、勇気があり、自分の意見がある、しっかりした子だと確信していき、この若い女性との会話をこんなに楽しいと感じるのは間違っているのではないかと思いつつも、惹かれていく気持ちは抑えようがなかった。