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“グーグル先生”が台頭する時代に、医師の役割はどう変わるのか――上橋菜穂子×津田篤太郎

『ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話』の過程で生まれたエピソード

genre : ライフ, 読書, 医療

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医者にとって、完全でないことは恐怖

上橋 目の前にいる人間に対して手詰まりになるほうがよほど怖いというのは臨床医ならではの感覚だなと思います。

津田 でも少数派ですね。やはり人に弱いところを見せたり突っ込まれたりするのが嫌だという医者のほうが多いです。

上橋 医者にとって、完全でないことは恐怖かもしれませんね。

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津田 そうだと思います。自信をもって周りの人に説明できないというのはよくないことと思っている人が多い。

上橋 それはきっと患者の側にもあてはまります。医師が、知らない、あるいは間違えてしまう部分があるかもしれない、ということは、あってはならないと思ってしまう。もともと人間は完全ではないので、ここまでは間違いなく言えるけれど、ここから先は……というものが必ずあるんですが、医者ほどそれが許されない職業はなかなかないですね。

津田 でもありがたいことに多くの患者さんはその矛盾をついてこないんですね。

上橋 あははは(笑)。

 

津田 その場で最適な解を出せば、昨日と多少言っていることが矛盾しても許してもらえます。中には、逐一おととい言っていたことと違う、何ヶ月前に言っていたことと違うとおっしゃる方もいらっしゃいますが(笑)。

上橋 患者の側からすると治りたい気持ちが一番だから、帳尻さえ合っていればOKというのは確かにありますね。でも、自分たちのまだ知らないことが向こう側にあるかもしれないという、見えていない可能性を常に心に持ち続けていないと、むしろ怖いですね。

津田 でもひとつの立場で全部最後までいけるという保障がないと踏み出せないという人たちもいますし、医者の中にはそういう人のほうが多いかもしれません。

上橋 ああ、そうか。人の命を預かる、1対1で向き合う姿勢からすると、確かに、そう思わないと責任を負えませんし、それはあるかもしれないですね。

津田 とくにこれから医者になろうとする若い人を教育するときにはそういう自信をもって語る必要があります。これさえ知っていたら君はどの科の医者もできる、これだけ知っていたら君は一人前になれるということを言うと、若い先生にはウケます(笑)。実際は違うけれど、だいたい7割くらい合っているところを言うのは大事で、それがいわゆるマニュアルと呼ばれるものの正体ですね。

上橋 そのマニュアルがないのが東洋医学のような(笑)。東洋医学のもうひとつの側面として、先生がよく書かれている名人芸の世界というのも面白いですよね。たとえば鍼灸院に行っても、この先生はうまいけど、なぜか自分には合わないなどというようなことがあります。これは知識や技術とも少し違う、センスのようなものかもしれない。こういうセンスの部分に関して、津田先生がお勤めの病院の西洋医である院長がおっしゃったのが……。

津田 「医学から名人芸を追放する」と。

 名人芸を構成しているひとつの要素に、相性の問題があります。皆、名人と聞くと、100人診たら100人治せるのが名人だ、と思っているかもしれませんが、そのような名人は絶無です。Aさんにとっては名人だけれど、Bさんは失敗したというケースがほとんどですね。おそらく7割の患者さんを治せるのが普通の医者で、それを8割とか8割5分にすると名人と言われるのだと思います。その1割とか1割5分をあげるのは個人の努力もありますが、相性もあって、名人とは、治せる人の間口が広くて、治せる率の高い人のことをいうわけですね。間口が狭いとその率は下がってしまうわけですが、名人とは言われていない医者でも、ぴったり合う患者さんがいる。そうすると人に真似のできない奇跡的な治療をやってのけたりします。

 

上橋 それはもうめぐりあいですね。やはり、ありとあらゆるところに「運命」という嫌な言葉が見える瞬間がくるので、宗教が関わる余地が出てきてしまうのかもしれないといま思いました。その人に出会えたか出会えないかで人生が変わるという……。

津田 名人に出会える頻度が低かったり、名人の治せる間口が狭いと、「治る」ということが運命論になってしまう。これはもう統計学の問題ですね。治せる率を何パーセントくらいまであげられるか、にみんな切磋琢磨して、いろんな知恵や知識をかき集めて……ということの積み重ねが、名人芸の「いかがわしさ」を脱色するんじゃないかなと思いますね。