いざという時の決断力、行動力、爆発力に魅力を感じます
池波先生の原作を改めて読ませていただくと本当にどの話も傑作ばかりだと実感します。一話一話読み進めるごとに印象がアップグレードし続けて、どれが好きかと聞かれても選べないというのが正直な感想です。先生は「江戸の世話物を描きたい」とおっしゃってお書きになったと伺い、なるほどと思いました。日常のさりげない自然や衣食住など人の暮らしにまつわるさまざまな事象、人物のちょっとした所作や心の持ちようなど、至るところに江戸の風情を感じます。
それは歴史上に実在したリアルな江戸とは違うものなのかもしれません。令和の今、当時を知る人は誰もいませんから確かめる術はありません。仮にそれができたとしても史実に忠実であればいいというものでは決してないのだと思います。そこが歴史小説との違いで、ファンタジーとしての時代小説の魅力があると思います。
携帯電話もインターネットもない、人と人が接しなければ情報を得られないという、今となっては誰も見たことがない世界。そこで生きているのがこの物語の登場人物たちです。善人もいれば悪人もいる。平蔵はそのさまざまな人を巻き込んで、人間ドラマが展開していく。
皆さんよくご存知のように、この主人公は「鬼の平蔵」として手腕を発揮している人物でありながら、「俺についてこい!」というタイプの強烈なリーダーではありません。悪い者は悪い、という大前提のもと、裁くべきことはきちっと裁きながらも、人間対人間として相対していく。平蔵を演じる祖父の姿から滲み出る人間像は非常に印象深いものがあり、先生はよくこういう人物を創り上げられたものだと思います。
その前提ありきで叔父の映像を見て強く感じるのは、鋭さと洞察力です。状況に応じてものごとに対峙していく中で、時に本心を押し隠してここぞという時に決定打を出す。いざという時の決断力、行動力、爆発力に魅力を感じます。
怒りの中にも哲学と信念のある鬼平がつくれたら
自分自身が演じるに当たっては、それらすべてを足し算して、怒りの中にも哲学と信念のある鬼平がつくれたらと夢を膨らませています。
こうした人物造形や物語の面白さに加えて、この作品の魅力となっているのが江戸の風情です。いつだったか、叔父が実際に着ていた衣裳を見せてもらったことがあるのですが、独自の仕立てになっている部分があることを知りました。着流しで格好良く歩くにはそれなりの技術が必要です。叔父はその確かな技術に加えてさらにそういう工夫をしていたのです。着流しの着こなしや歩き方に限ったことでなく、酒の呑み方、料理の味わい方、独特の江戸弁などさまざまなディテールには自分も徹底してこだわっていきたいと思います。
そこで心強い存在なのが、京都撮影所のスタッフです。過去、数々の撮影で育てていただいたスタッフの方々と『鬼平』という素晴らしい作品でまた巡り会い、長谷川平蔵としてご一緒できるのは幸せな限りです。これまで受けたご恩を返さなくてはと心から思います。