結婚が決まっていた
その後、未和の引越しに、次女と2人で手伝いに行ったときには驚きました。暑い夏の盛りに、私たちはただボーっとテレビを見ている間に、未和は1人でちゃちゃっと立ち働き、ハヤシライス、キュウリ、トマトのサラダを作ってくれたのです。学生時代の未和からは考えられない手速さに、仕事が人間を作るってこういうことなんだなぁと、感心しました。
また、あとにも先にも、たった一回だけ、実家に泊まりに来てくれたことがありました。私が色々と作った夕食をまるで飲むようにたいらげ、ささっとカラスの行水。自分でヨガを済ませると、すぐお布団へ。あまりのスピードぶりにポカンとしていると、未和は、「記者は早飯、早ナントカで、食べられるときに食べ、寝られるときに眠るんだ。ママもはやく寝てよ」と言ったのでした。彼女は眠ったあと、私は天にも昇る気持ちで、未和が愛おしくて、愛おしくて、眠るのがもったいなく、いつまでもおでこをなでておりました。未和のにおい、未和の体の温かさ、私はこれからも忘れることはありません。
NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」の主題歌は、まさに未和のイメージにぴったりで、当時はこの歌をずーっとイヤホンで聴きながら、未和を感じていました。もう少し、もう少しで夫が帰ってくる。普通の生活ができる。結婚が決まっていた未和の手伝いができる。もくもくと家事に励んでいた日々。しかしながら、もうこの曲を聴ける日はなくなりました。
この苦しみを味わう人が二度と現れないように
平成23年5月1日、夫の完全帰国準備のため、サンパウロ行きになり、未和との連絡はラインとなりました。7月17日、未和から「横浜局の県庁キャップになりました。また忙しくなりそう(涙スタンプ)」、「おめでとう」と言うと、「めでたいかどうかは謎だね(泣き顔スタンプ)」。日本の夜7時のニュースが、サンパウロの朝7時のニュース。別の部屋にいたので、途中から気づき、「以上、選挙報道でした」との未和の最後の声が今でも耳に残っています。
未和の死後、私は私でなくなりました。家中のあらゆる刃物、ロープ類は隠され、夫と下の子たちが順番に、私を見張っておりました。入退院を繰り返し、強い薬を5錠服用し、どうぞこのまま心臓が止まりますように、息が止まりますようにと眠りにつく。だけど、朝はくる。目覚める。ツラいです。親たちの看取りは、最期まで完璧にやったのに、なぜ最愛の娘をみてやれなかったのか。自分を責め続けています。
私は子育てのみに夢中でした。他に、これと言った趣味や特技もなく、子どもが成長した暁には、お手伝いをすることだけが、私のたった一つの望みでした。もうその望みが叶うこともありません。この苦しみを背負う人が今後、決して二度と現れないことを切に願っております。